「神は細部に宿る!」
最初に、大覚寺に足を運びました。大覚寺は、嵯峨天皇の離宮です。世界遺産ではありませんが、寺の中から見渡す大沢池の庭園が美しく、京都の世界遺産の寺院に負けることのない美しい寺院です。
次に、世界遺産の竜安寺に行き、石庭を見てきました。竜安寺の石庭は、中国の山水の世界を日本人独特の世界観で、写した「枯山水」の庭です。「水を感じさせるために水を抜く」ということで、水を見立てられて創られています。白砂は大海をイメージし、岩は島というより山ということだそうです。
石庭では、外国人の観光客であふれていました。石庭には、ロープや立ち入り禁止の札などがありません。石庭に入ろうと思えば、簡単に入ることができます。当たり前ですが、誰も中に入ろうとする不届き者はいません。私は、石庭の「圧倒的な尊厳さ」が、外国人にも伝わるのだと思いました。
最後に、世界遺産の東寺を見てきました。特別公開をやっていて、五重の塔の中に入ることができました。東寺の中は、壁や天井まで、美しい絵が描かれていました。外から見ても、壮大なスケールを持つ東寺の五重の塔に、中の細部に至るまで、こだわりを持って、創られていることを知り、改めて感動をしました。
京都の世界遺産や国宝を見ていると、そこに神が宿っているように感じます。細部に至るまで、徹底的にこだわりを持って、創られているのが、素人の私にまで伝わってくるのです。ひとつひとつに、魂を込めて創られているのが感じてきます。その作品性は、もはや、ひとつの歴史的な意味を持つ建築物ではなく、神が宿る芸術品です。
京都の世界遺産の数々は、歴史上の権力者が強制的に作らせたのもではないと思います。単に、権力によって作らせたものであるならば、「畏怖の念」を感じるような作品が出来るはずがない。神の腕を持つ職人が、アートの世界を超えて、神を宿らせ、創造したものだと思います。
すばらしい商品やサービスに触れるときに、単なるひとつの商品を超えて、感動を感じるときがあります。さらに、感動を超えて、圧倒的な驚きで「畏怖の念」をもつときがあります。『細かい』のではなく、「細やかに」執念とこだわりをもって、取り組まれているのが伝わってくるのです。
帰りの新幹線の中で、京都の重要文化財に触れて、いにしえの職人たちの執念とこだわりを考えていました。私も、徹底的にこだわり、単なる商品やサービスではなく、神が宿るような作品を創りたいという気持ちが増してきました。
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「神は細部に宿る。」
世界遺産を見るとそんな気持ちが湧きあがってきます。
作成日:2010年5月31日 屋根裏の労務士