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「ほつれ髪の女!」

レオナルド・ダ・ヴィンチの「ほつれ髪の女」を見てきました。実は今回の開催中の2か月半の間に、3回、足を運びました。

私は、絵画に限らず、同じ作品を何度も繰り返し見に行く傾向があります。理由は、また、見たくなるからなのです。それに、毎回、「見えるもの」や「見えてくるもの」が違います。いつも新鮮な気持ちで、ワクワクしながら足を運んでいます。

「ほつれ髪の女」は、モナリザと同時期に描かれたダ・ヴィンチの円熟期の作品。表情の繊細な描写とは対照的に、髪は即興的に曲線で描かれただけです。この作品は、未完成なのです。

未完成でありますが、陰影をおびた目元と唇の描写は凄い。キャンパスを裂けば、その下から血痕が出てくると思わせる程の描写。

ダ・ヴィンチは、解剖学にも長けていました。視覚的に見える表情だけでなく、その内部である筋肉や皮膚の動きまでも捉えた完璧な描写が出来ていたのです。

万能の天才と言われたダ・ヴィンチ。芸術分野だけでなく、建築、軍事、天文学など様々な分野にも精通。美への飽くなき探究心は、宇宙の謎にまで迫ろうとしたのです。

この天才の作品が美しいのは、目に見える形の完璧さだけではありません。解剖学で得た、表情となる肌の下にある筋肉の動き。さらに、そのずっと奥深く、遥か先にあるもの。言語はおろか、視覚や生命の動きすら超えた領域。それは下記にあると言われています。

  • 「心の波動」

ダ・ヴィンチは美への追求のために、目には見えない、美しき「心の波動」まで描きあげようとしたのです。

「ほつれ髪の女」は、伏し目がちに、うつむいた優しい眼差し。それは、子を見る慈しみと考えられています。このうつむいた女性美は、「岩窟の聖母」にも表現されています。子を慈しむ聖母は、見る者とのプライベートゾーンを感じさないように思うのです。

「ほつれ髪の女」に代表される、うつむいた女性の美。プライベートゾーンの中で、優しく包み込むような美しさです。その対極にあたる美があります。それが、娼婦を描いた作品の美しさだと思います。

ルネサンスの芸術家は、娼婦の美を数多く描いています。今回展示されていた「マグダラのマリア」などもその一つです。

上向きのつんとした目線。それは、こちらを威嚇するような眼差し。それでいて、何か優しさと気高さを感じさせるのです。見る者に、あえてプライベートゾーンをつくりだし、距離を感じさせる作品が多いように思えるのです。

ダ・ヴィンチの作品と言えば、モナ・リザ。ご存知の通り、世界一有名で、謎多き絵画。美しさゆえに、誰もがその美に魅了され日々、研究されています。

今回の展示会でも、弟子たちが描いたモナ・リザが展示されていました。ダ・ヴィンチの模写ではありますが、時間を忘れて見入ってしまう程の完成度の高さです。本物とは作品コンセプトが異なりますが、別の美しさをはなつ、モナ・リザです。

見る者との距離感で捉えたときに、モナ・リザはどうでしょうか?
私は次のように感じるのです。

  • 「宇宙的な距離感」

「宇宙的な距離感」という表現は、いささか抽象的で分かりにくい表現になってしまいます。確かにそこにいるのです。しかし、決して触れることは出来ない。そして、無現の広がりを彷彿させる。そんな感覚です。

モナ・リザは、上下左右どの位置から見ても見る者との視線が合うように描かれています。いつでも目線を合わせて微笑んで、こちらを見てくれているのです。

それは、「ほつれ髪の女」のように、プライベートゾーンをつくらずに、直接、手を差し伸べて包み込んでくれる美ではない。「娼婦」のように、簡単に近づかせない、プライベートゾーンをつくりだす美でもない。

モナ・リザは、何かぼんやりとした月の光のように決して触れることは出来ない。遠い世界にいながらもいつでも近くにいて、見てくれているように感じるのです。

ダ・ヴィンチは、謎多き芸術家です。研究者も多く、様々な学説があります。何が真実であるかは、分かりません。その時の自分が「見えたもの」が真実でもあります。

次に、ダ・ヴィンチの作品に出会うとき、私が「見えているもの」も、きっと違う何かだと思うのです。

作成日:2012年6月11日 屋根裏の労務士

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