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「長崎の旅」・・・後編

ゴールデンウィークの連休に長崎県に行ってきました。私は、幼少期からフットワークが軽いところがあり、突然、ぶらっと、出掛けてしまうことがあります。

高校生の頃は、宿の予約もしないまま、ほとんどイメージだけの無計画な状態で、地図を片手に、僅かなお金と着替えだけを持って、自転車で遠方まで出かけてしまうこともありました。大学生の頃も、滞在期間も決めずに、旅に向かう目的地だけを決めて、ぶらっと、旅に出かけてしまうことも、度々。

私は、幼少期から、どんな場所でもグッスリ寝ることが出来るという特技があったので、宿の心配は、あまりしたことがありませんでした。不安な気持ちより、ワクワク感のモチベーションで、全身が包まれていました。

私の相方も心臓に毛が生えている無鉄砲な奴が多く、宿がとれなく野宿になっても、何も動じないのです。どちらからと言えば、宿を予約してしまえば、『勝手気ままになれない』というマイナスの気持ちが強かったのです。

今でも、飛行機を使わない一人旅であれば、基本的には、行きも帰りも、新幹線の予約はしません。仮に、帰りの新幹線で、立ち席になったとしても、事前に予約をして、時間に拘束されて、『勝手気ままになれないこと』の方が嫌なのです。

私は、旅の醍醐味を次のように思っています。

  • 何が起きるかわからない、ワクワク感。

しかし、そんな若い時の様な無鉄砲さ。最近は、めっきりと無くなりました。若い時の様に、駅のホームや公園のベンチなど。どんな場所でも、くつろいで、ぐっすり、眠れるような適応力もありません。

全国展開をしていたり、地方に拠点を持つクライアントの役員の様に、出張にも慣れていません。出張には、肉体的な疲労だけでなく、あれこれと、心労が伴うものです。

旅に出かけるときも、かなり緻密に、注意深く、計画を立てています。私と連泊を要する旅をしたことがある方。私が、かなり緻密に、旅の計画を立て、旅のしおりを作るので、その緻密さに、ビックルされることも少なくありません。

全国に拠点を持つクライアントの方とは説明会や研修などで、私と一緒に、出張することもあります。説明会などを実施する拠点が数か所になれば、私は、必ず事前に、緻密な計画を立てる様にしています。日常業務との調整もありますので、しっかりとしたスケジュールを立てるのです。

今回の長崎の旅でも、かなり緻密にスケジュールをたてて旅全体のシミュレーションをして準備をしていきました。私は、旅には大きく次の二つの楽しみがあると思います。

  • 実際に見て感じて体験する楽しみ。

  • それを準備するプランニングする楽しみ。

私は、学生時代に、長期の休みのとき、小さな旅行会社でアルバイトをしていたことがありました。従業員30人程度の旅行会社です。主に個人旅行のプランニングを専門にしている会社でした。

私がしていたことは、主に、事務作業全般です。社員の方が、お客様と打合せをして、旅の希望と予算から、旅のプランニングをします。私は、そのプランニングした内容にそって「旅のしおり」を作成したり、各種予約や手配をするのです。

実際に旅をしなくても、旅のプランニングをしてお客様のサポートをしているだけでも楽しいものでした。当時の経験は、今の仕事にも通じるものがあると思います。

どんなに、前もって緻密にスケジュールを組んでいても実際に、現地に行けば、そこで予定は変わるものです。インターネットの普及で、事前に旅の情報を入手することが簡単に出来るようになりました。書店に行けば、詳細なガイドブックも手に入ります。

しかし、「生きた情報」というのは、やはり現地に行ってみなければ、手に入らないものです。特に、地図です。私は、前職、不動産系列の建築屋だったので、地図を読み込むことは、慣れています。

旅に行く前に、訪れる都市の人口や産業を頭に入れて、ざっと地図に目を通しておけば、巨大都市でもなければ、訪れる地について、概ねイメージが出来ます。それでも、現地に着けば、必ず、最初に観光案内所に行き、現地で地図を入手したり、案内所の方から、「生きた情報」を得るようにしています。

宿泊するホテルでも、独自にその街の地図を作成していることもあります。ビジュアルの優れた、見やすい地図。必ず、現地で手に入れるようにしています。

事前に勉強して知識として知っていたことでも現地を訪れると、知識を超えて、理解を得るような発見。旅には多いものです。今回、長崎を訪れて、下記のことについて感動を伴って、深い理解をすること出来ました。

  • 長崎のキリスト教の歴史。

「隠れキリシタン」の痛みや悲しみの歴史です。豊臣秀吉は、1587年に「バテレン追放令」を発し、宣教師たちの追放を命じました。1597年には、26人の宣教師・信徒らが、長崎の西坂の丘で、はりつけに処せられました。

秀吉に始まった禁教政策は徳川幕府によって強化。1614年には禁教令が全国に発布されました。教会もなく、指導者もいない状況の中で、様々な精神的な迫害を受けながら、250年も潜伏。キリストの教えを継承してきた「隠れキリシタン」。

信仰の自由を求める国際社会の非難が高まる中。1873年、明治政府はついに禁教の高札を撤去。キリシタンたちは、250年に及んだ潜伏を経て、初めて信仰を公にすることができるようになったのです。

前回のメールマガジン、「長崎の旅」のテーマで、クライアントの役員から、頂いたご感想に次のようなコメントがありました。

  • 源氏蛍と山から下りる姫蛍の乱舞。
    相子川で見ながら、キリシタン弾圧に耐えた人々の悲しみ。
    ふと感じたように思います。

クライアントの役員は、蛍の出る季節に五島列島で一泊したそうです。長崎には、精神的な迫害や弾圧を散々受けた、「隠れキリシタン」の痛みや悲しみ。ふと、直観的に、気が付くことがあります。

旅は、現地に実際に訪れてみると、いつも、何か新しい発見や気付きがあるものです。旅から戻り、色々と振り返ったり、お土産話をしたり。誰かと旅について、語り合うことも旅の楽しみです。何とか時間をつくって、また、どこかに行ってみたいです。

作成日:2015年5月18日 屋根裏の労務士

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