コラム Column

『それは、貴方の常識です。』

公益財団法人の日本生産性本部が新入社員を対象に、毎年実施しているアンケートがあります。そのアンケート調査で、今年の新入社員はスペシャリストより、ゼネラリスト指向である旨の調査結果がありました。このアンケート結果を日本生産性本部は次のように分析しています。
  • 「就職活動が厳しいことから、入社した企業で勤め続けるために、
    社内でキャリアアップすることを希望する傾向が強いのではないか。」

私自身も、サラリーマンの頃、ゼネラリスト指向でした。若いうちは、ゼネラリストで多くの経験を積む。中堅になったら、一定期間、専門職のスペシャリスト。絶対的な専門性を身に着けたら、現場に精通した、経営感覚のある管理職。私は、そんなキャリアパスを考えていました。

一定規模数の企業に在籍する最大のメリットは、転職せずに、様々な職務を経験できること。実際に、希望通り、多くのチャンスを頂き、キャリアを積むことが出来ました。

私のキャリアは、大きく分けて、営業部門と本社管理部門。現在の社労士の仕事は、実務的には、本社管理部門で培った経験が大きいと思います。

私は、本社管理部門に、経理関係の仕事で配属されました。しかし、経理の仕事は、最初の1ヶ月程度しかしていません。当時、問題相談案件の補助を経理業務の片手間に、手伝っていたのです。しかし、そこで、私が次々と問題案件を解決していきます。

当時、管理部を統括していた部長が、その能力を見出し、経理業務ではなく、相談室の問題案件の窓口を専属でするように任命したのです。

相談室の問題案件の解決とは、日々のクレームから、裁判になるような、紛争問題の解決にあたる業務です。トラブル対処の方向性を示したり、アドバイスしたりです。

実は、現在の社労士になったのも、この部署での経験からです。

会社とお客様との信頼関係が悪化。現場の担当では、対応できなくなったような案件。それを裁判という泥沼の状態になる前に、善意の交渉で、調整を図り、解決を図るのです。

ここでの仕事は、日々、緊張とストレスの連続。当時、ストレスで肝臓を悪くしたこともありました。しかし、若いときに、多くの貴重な経験を、積むことが出来ました。その中で、ある年輩の役員が、何度も何度も周囲に伝えて、今でも戒めていることがあります。それは、次のことです。

  • 「自分の常識観だけで判断しない。」

問題が大きくこじれるのは、傾向があります。それは、自分の『常識』が、絶対的なものだと当たり前の前提で、思い込んでいる場合が多いのです。ゆえに、悪いのは、その『常識』から逸脱した、一方の相手。その状況をつくりだした、会社の仕組みだという理屈になるのです。

役員は、問題を引き起こした担当者から、問題の状況を確認しているときに、口癖のように、次のことを話していました。

  • 『それは、貴方の常識です。』
    「世の中には、色々な人がいます。」

この部署にいたとき、色々な紛争問題に直面して、解決を図ってきました。誠に、人が活動して、生きていくということは、想定外の、様々なことが起きるものです。その中で、日々、感じていたこと。

世の中には、色々な人がいる。そして、色々な人が、自分では、当然と思って、当たり前に振舞っている、『常識』を纏っていることです。何か、大きな問題が起きるとき、下記のケースが原因になることが多いのです。

  • お互いの『常識』感覚の掛け違い。

自分では、「常識」であり、当然のこと。相手も、当然の前提で、ワカッテいると思っていても、相手にとっては、当然だと思っていないこと。実は、世の中に、たくさんあるのです。

お互いが、自分たちの『常識観』で動いていれば、話など、すぐに、噛み合わず、伝わらなくなるのです。結果、トラブルを引き起こして、水掛け論。

  • 「言った、言わない。」
    「説明した、説明しない。」
    「聞いている、聞いていない。」

更に、稚拙な担当者の場合、「思っていた、思っていませんでした。」の思い込み論。

書面で取り決めまでして、証拠があっても、自分の『常識』に基づく論理で、言いかがかりをつけてきたり、適切に対応せず、とぼける者など、世の中に、いくらでもいるのです。

トラブルを引き起こす人に、共通する、ある傾向。

それは、同じ言語である、日本語を話して、言葉のやりとりをしていれば、相手にも、当然、伝わっていると、思っていることなのです。思っているというより、当然の前提で、行動してしまっているという方が、適しているかもしれません。

双方が内なる自己の世界の中で、双方が、当然だと思い込んでいる、『常識』があります。自分も含めて、人は誰もが、自分の内なる殻である、各人固有の『常識』。それを纏っているものなのです。しかし、この『常識』は、社会一般のいわゆる、「常識」とは、一線を画すものです。

  • 各人が自ら歩んできた生い立ちや経験により、各人が纏っている『常識』。

その『常識』は、特定の集団社会の中で、限定的な当然の場合が多いのです。人は、その『常識』を、社会一般のいわゆる、「常識」と勘違いして、行動していることが多いのです。社会一般のいわゆる、「常識」。それは、ほんの狭い領域なのかもしれません。

お互いが、特定の集団の中では、通用する『常識』を前提に行動して、それを社会一般の「常識」の前提で振舞えば、話は、すぐに噛み合わなくなり、トラブルになるに、決まっているのです。

更に、トラブルを起こす人は、自分の『常識』と、相手の『常識』が異なること。何度も何度も、説明しても、理解することは、ありません。私の経験からすれば、何度も問題を引き起こす人は生涯、気が付くことは無いでしょう。

  • 自分の『常識』が、限定された世界でしか通用しないことを。

  • 自分の『常識』が、通用しない、世界があることを。

  • 自分の『常識』が、通用しない、相手がいることを。

それゆえ、永遠に、自分の『常識観』に基づく、論理をつくり出し、それを盲信して、主張し続けるのです。その姿は、まるで、原理主義となった宗教の信者の様。

お互いに歩み寄ることなど有り得ない程に自分の論理を主張して、相手がおかしいとして、攻撃しだすのです。最悪の場合は、戦争。企業経営の中では、裁判。何か前向きに話がまとまることはないでしょう。

現在の労務の相談。例えば、役所の是正勧告の対応でも、問題社員の対応でも、自分の『常識』という殻の中にいたら、すぐに、一元論の世界の中で、原理主義の状態となります。話は噛み合わなくなり、トラブルになるのです。

問題社員が、一元論の原理主義の状態になるだけではなく、対応する人事の担当者の方も、自分の『常識』という判断基準の殻の中、一元論の原理主義となっているのです。人事が、社員を原理主義の問題社員に、させてしまうこともあるのです。

双方が、自分の『常識』の下に、論理という武器をつくり出し、その武器で攻撃しだすのです。この論理というものは、それぞれの世界の中では、言い分があり、その言い分の中では、間違ってはいないのです。しかし、一方の相手の世界の中では、通用しないことが多いのです。ゆえに、永遠に、お互いが交わることがなく、平行線。

両者が、自分の論理だけを主張しだせば、話など、まとまるはずがありません。

  • 『それは、貴方の常識です。』
    「世の中には、色々な人がいます。」

そんな役員の言葉を、日々の労務の相談の中で、噛みしめ、その言葉に反省して、理解を深める自分がいます。

  • 交渉ごとには、相手がいます。
    その相手は、自分とは別の『常識』をもっています。

サラリーマンの時に、本社管理部門の相談室での貴重な経験。今でも、私の社労士のベースになっています。

作成日:2013年6月17日 屋根裏の労務士

お問い合わせ

電話番号 03-3988-1771 受付時間9:00~19:00(土日祝祭日を除く)

お問い合わせ

コラム

  • 採用情報