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『暴力の根底にある意識』!

前回のメールマガジンで、大阪市の高校で体罰受けて、自殺した事件を取り上げました。その中で、『暴力を正当化させる論理』が組織の中に働いていたことを述べました。

『勝つことへの使命感』が、自分を見失わせる。そして、『暴力すら正当化させる論理』を生み出してしまう組織に潜む危険性です。それに対するご意見やご感想をいくつか頂きました。その中で、次のような意見がありました。

  • 暴力は、放置しておくと、限度なくエスカレートする悪魔。

  • さらに、暴力という悪魔は、周囲に伝染する。

  • そして、文化や血のように、受け継がれていく。

暴力は、いつも注意しておかないと、ドンドン、エスカレートしていく。体罰、DV、いじめ、パワハラ。放置しておくとドンドン酷くなっていく。

身体的な暴力だけが、暴力ではありません。言葉によるもの、態度によるものも含まれるということは言うまでもありません。会話をせずに、無視をするというものも、暴力です。これらは、組織の中には、程度の差こそあれ、潜んでいる危険性だと思うのです。

例えば、組織のマネージャーが、特定の人をあからさまに、無視をしだす。それが、伝染するかのように、周囲のスタッフも無視をしだして、一人を孤立化させる集団暴力が行われるようになる。

何の罪の意識も感じず。自分は巻き込まれただけと自己弁護。暴力や犯罪、卑怯行為に加担してしまうことなどは、決して珍しいことではないでしょう。

近年、社会問題となっているDV。DVの件数は、警察が認知しているだけでも、全国で年間、約3万5千件近くにもなっています。実際は、その10倍とも、100倍とも言われています。DVの問題は、もはや、他人ごとではありません。

DVの原因は、「ストレス」でも、「怒り」でも、「お酒」でも、「相手の言動」でも、ありません。DVの原因は、下記にあると言われています。

  • 『相手を自分のコントロ-ル下に置こうとする意識』
    つまり、『支配』です。
    さらに言えば、『所有』です。

精神的に、経済的に、社会的に、自分の中に、すべて置いておきたいという意識。それが、『支配』であり、『所有』です。相手の人格や個人性、社会性を考えてないのです。『支配』や『所有』は、暴力の根底にあるものでしょう。

  • この『支配』や『所有』という意識は、何やら、とても厄介。

加害者である当の本人には、悪気がないことが多いからです。酷い暴力をしているということ自体に、自分では、気付いていない傾向にあるのです。相手のことを色々と思ってやっていることだと盲信している場合も多いのです。

DVをする者は、『支配』や『所有』という意識を、空気を吸うかのように、無意識に行っています。そのため、ほとんどが、なおらないと言われています。

幼少期などの過去に、加害者の自分自身が、DVの被害者であったり、父親が母親に暴力を、日常的に振舞っていたりするケースも多いと言われています。また、親から、一方的に、偏った愛情を受けて、育った子にも、成人してから、DVの加害者になる傾向が高いそうです。

子としての意思や決定の選択肢は無く。いつも、親の言う通り。意思なく、まじめに育ってきたようなタイプ。親がしてきた偏愛。子は自分のモノであるという意識。

その子が大人になり、その意識を、今度は、他者に向ける。特定の大切な人に対して、当たり前のように、相手を意思なき存在として、自分のコントロ-ル下に置き、接するようになるのです。まさに、血や文化のように、受け継がれていく悪魔。血や文化ですので、自分では意識することすら、難しいでしょう。

DVがエスカレートしてくると相手がしていることを、すべて把握しておかないと気が済まなくなってきます。相手の携帯やメールを見たり、自分が見ていない、すべての行動に対して、執拗に、説明を求めてくるようになります。相手を、人格ある、意思ある人として、接することが出来ないのです。

相手がノイローゼになってしまう程、干渉してきます。そして、様々な精神的な暴力を振舞うようになるのです。さらには、身体的な暴力を振舞うまで、エスカレートしていくのです。

私は、体罰をする教師の心の奥底にも、この『支配』や『所有』という歪んだ意識。それが、潜在意識のレベルで、渦巻いているような気がするのです。

人間というのは、意思をもった存在。それが、人格です。ペットでも、人形でも、ロボットでも、ないのです。生徒も、パートナーも、スタッフも、所有物ではないのです。どんなに偉い立場の人間であっても、相手を、自分の思うように、コントロールすることなどありえないし、出来ないのです。

体罰をする教師。DVをするパートナー。パワハラをする上司。暴力を振舞う者に共通する根底にある潜在意識。それは、下記です。

『他人を、何か、自分の所有物のように思っている潜在意識』

人間が、「意思ある存在」であるという意識が極めて低い。何の悪気もなく、自然に、他人をないがしろにして、人ではなく、『自分の所用物』のように振舞うのです。

どんなに、大切に、大切に、していたからと言っても、人間は、『大切な宝物』ではないのです。人間は、「人格を有する人」なのです。決して、『支配』は出来ないのです。ましてや、『所有』することなどは出来ないのです。

「愛情」を、『支配』や『所有』と、混同。そこにあるのは、自分の意思で連れまわせる、ペットに注ぐような愛情。さらに、下記の意識を強烈に持っているケースも多い。

  • 『食わせてやっているという意識』

  • 『してあげているという意識』

相手をすべて手の内におさめ、すべてを把握しておきたいという潜在意識。『支配』や『所有』という歪んだ意識は、相手の人格すら、平気で踏みねじるまで、自分を見失わせるのです。そして、周囲に何が起ころうとも、『自己正当』を、暗示のように、自らに言い続ける。相手が、そこから、逃げようとすれば、狂乱状態。

暴力を振舞う者が使う、「指導」、「教育」、「愛情」、「感謝」という、レトリックの裏にある、『支配』や『所有』という潜在意識。自分の思う通りに、動いていないと自己の中で、何か、パニック状態。暴力という小爆発を起こす。

人間の心の奥底に潜む、すべてのことを把握して、『支配』し、『所有』したいという歪んだ意識。そこには、人間が個別性ある、意思をもった、他に変えることが出来ない存在。
つまり、「かけがいのない存在」という気持ちはありません。

いつでも、代替可能な、命令とマニュアルで動く、意思なき存在。
つまり、『モノとしての存在』なのです。

暴力の根底には、そんな歪んだ潜在意識が渦巻いているような気がするのです。

作成日:2013年2月3日 屋根裏の労務士

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