コラム Column

「京都の旅」

先月、京都に紅葉狩りに行ってきました。例年、12月は繁忙期のため、まとまった休みがとれません。11月の3連休は、自分の趣味を過ごせる一時の瞬間。

私は、庭園鑑賞が趣味です。庭園を愛でるのが人生の楽しみの一つです。四季折々の風景を、何も考えずに、何も語らず、ただ愛でているだけです。趣味で庭園鑑賞をはじめたのではありません。気が付いたら、何度も何度も同じ庭園に足を運んでいたのです。

  • 日常に疲れた自分

庭園はそんな疲れた自分に寄り添うように、癒してくれるような気がします。

絵画などの芸術鑑賞は、掘り下げて勉強をしておかないと、美しさの深いところまで、なかなか理解することはできません。一方、庭園美や庭師については、深く掘り下げて勉強したことはありません。庭園を愛でるのは、下記のためです。

  • 心を休ませるため

庭園美や庭師の思想を学び掘り下げて勉強をしていたら、もっと違う角度から学べることも多いのだと思います。しかし、私は庭園については、ただ愛でるだけで十分なのです。

深く勉強をすれば、庭園を見ているだけでも、勉強モードで頭が動いてしまって、心を休められないような気がするのです。

京都は庭園美の宝庫です。今回、ついに、かねてから念願であった、あの庭園を愛でてきました。

  • 桂離宮

桂離宮は日本庭園の中で、最高の名園といわれています。17世紀の初めから中頃までに、八条宮初代智仁親王と二代智忠親王によって造られ庭園。

参観には事前に予約が必要です。人気のため、ほとんどの日が抽選になります。以前、申し込みをしたことがありましたが、抽選に当たらず参観ができませんでした。

近年の外国人観光局の京都ブームもあり、11月の紅葉シーズンの桂離宮は、さらに人気のスポットになっていました。参観者数の枠を増やしてほしいというニーズを踏まえて、今年の11月から、参観態勢が拡充されることになりました。そのため、これまで無料だった参観料が1回1,000円となりました。

1,000円の有料になりましたが参観者数の枠が増えた形になりました。ダメ元で送付した紅葉シーズンの申し込みの抽選に当たりました。念願であった桂離宮の参観をすることが出来ました。

細やかにして巧みに様々な仕掛け。庭園の随所にあります。「わび」、「さび」の世界を表現した、実に見事な庭園と建築美なのです。

桂離宮の美と比肩される建築に、日光東照宮があります。同じ時代に建造された対照的な様式美の違いは下記にあると言われています。

  • 日光東照宮・・・幕府の豪壮絢爛な色彩美の追求

  • 桂離宮・・・・・・・公家社会の精神的な機能美の追求

東照宮は、徳川家康を祀ることによって、幕府の権力を誇示せんとして、多大の経費と労力を注ぎ込んで豪壮絢爛な色彩美を追求した作品です。一方、桂離宮は公家社会の高い教養に裏打ちされた、洗練された精神的な機能美を追求したのです。

控えめな気品を良しとする日本人のDNAに刷り込まれた「わび」、「さび」の美意識です。権力を誇示せんとして自分を大きく見せるための美意識ではなく、「わび」、「さび」のような控えめな気品を良しとする美意識をもっているのは、日本人だけだと思います。

桂離宮は、そんな日本人の洗練された精神的な機能美が見事に表現された作品です。日本人は、成金めいた自分を大きく見せるための見栄の塊のようなものに、多くの人が共感したりしません。

また、今回の京都の旅では、久しぶりに京都観光の鉄板の一つである、下記の寺を拝観してきました。

  • 三十三間堂

1,001体に上る「木造千手観音立像」が国宝に指定されることを記念して法要が営まれたのです。博物館に寄託している5体が26年ぶりに戻り、1,001体が全て揃った形で公開されたのです。

三十三間堂は、いつ行っても、いつも迫力があり感動するのですが、1,001体がすべて揃った三十三間堂は、また、違った迫力があったような気がします。

今回、1,001体がすべて揃った観音像を見ながら、下記のことにも気が付き、新しい美の発見がありました。

  • 日本人は権力者や英雄の人物像をつくらない

キリスト教圏の国に行ったときに、日本にはない美しさとして、真っ先に感じるのは下記のことです。

  • 街のあちこちにある彫刻の美しさ

キリスト教圏の国は、歴史上の偉人や英雄を美しく見事な石像や銅像にする文化が根付いているのです。一方、日本は偉人や英雄を像にする文化は、ほとんど無いと思います。

神道の日本では、英雄や偉人は、死んだら、個人の像ではなく、神社となって祀られているのです。また、仏教の日本では、死んだら、誰もが仏となるのです。

大仏像や観音像たくさんありますが、権力を誇示せんと権力者自らが大きな像を作らせたことなどは無いのです。日本にある歴史上の権力者偉人の像は、本人の意思ではなく、後になって、地元の人達が、勝手に作ったものです。

時代の権力者ですら、個人が像になって後世まで崇め祀られようとは思わなかったのでしょう。10月に高知県に訪れたときに、下記を確認してきました。

  • 坂本龍馬がどのように祀られているのか!

桂浜の海岸で、全高13.5メートルもある坂本龍馬の銅像を確認してきました。高知観光の王道中の王道の観光スポットです。高知市には、歴史上の英雄や偉人の大きな銅像があちこちにあるのです。

小生は、どの偉人の銅像を見ても、美しさを感じませんでした。それよりも、何か違和感がありました。

  • 個人が像になっていること

美しさや良いものだとは感じなかったのです。ちなみに、坂本龍馬は神社になって祀られていました。神社の方は、違和感がありませんでした。

今回の京都の旅で、控えめな気品を良しとする日本人の美意識を確認することが出来て、何か安心する気持ちになり、嬉しい気持ちになっていました。

京都の旅は足を運ぶ度に、何か新たな気付きやヒントがあり、日本人の魂について、理解が深まるような気がしています。

作成日:2018年12月17日 屋根裏の労務士

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