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「似非と本物!」

私は、幼少期から小学5年生までアレルギー性のジンマシンで、悩まされていたことがあります。小さい頃、たくさんの病院に通っていた記憶があります。じんましんは、発生すると2時間程度で消えてしまいました。夜になるとアレルギーが発生することがほとんどで、当時、症状を診てもらうために、夜に病院に行くこともありました。

日常生活には、影響はなかったのですが、治すために、たくさんの病院に足を運びました。しかし、どの病院でも、飲み薬を処方される程度で、全く治りませんでした。結局、小学5年生のときに大学病院を紹介して頂き、精密検査を受けて、そこで、処方された薬が効いて治ったのです。その後も遠方でしたが、しばらく定期的に検査に通っていました。中学生になり、成長期をむかえると、大幅に体質改善がされて、全く、悩まされることはなくなりました。

私は、病気で悩んでいた頃、子供ながらにして次のことに気が付きました。

  • 世の中には、『治したいと考えている先生』と「本気で治す意志を持った先生」がいることです。

『治したいと考えている先生』は、単に薬を出しているだけで、診察して頂いても症状の変化を聞いて確認している程度です。こちらが、自作の説明資料まで用意して詳しく経緯・状況を説明して、相談にのって頂こうとしているのに、次のようなことを言います。

  • 『冷静になり、考えていきましょう。』、『しばらく様子をみましょう。』

当時は、よくわかりませんでしたが、小児科、内科や皮膚科の先生でも自分の専門でなければよくわからないし、先生である以上、『専門ではないから、わかりません。』とは言えないのだと思います。時間がたつと、投げてしまうような状態で、『様子をみましょう。』の連発なのです。結局、しばらく、その病院を漂流しているような状態で、別の病院を探しにいくという繰り返しでした。

私が治った病院の先生から、最初に次のことを言われました。

  • 「治すのは、貴方本人です。先生はそのお手伝いだけです。先生も薬も、あくまでもお手伝いに過ぎません。治すのは、貴方本人ですよ。」

私は、最初、そのことばを聞き流していたと思います。しかし、診察の度に、何度も語りかけて頂いているうちに、次のことを考えるようになりました。

  • 「この病気は、自分が治す。」

不思議なのですが、『治りたい。』、『治してもらう。』という願望や依存の気持ちから、「治る」、「治す。」という主体的な気持ちに変わりました。先生も、念入りに診察して頂き、各種検査も詳細にしてくれました。今では、もう、30年も前になる昔のことです。その後、アレルギー分野の医学は飛躍的な進歩をして、私が患っていたアレルギーは、今では通常のアレルギー症状程度で、当時より数段レベルの高い薬が、町のクリニックでも簡単に処方されるようになったそうです。

その後、お陰様で私は大きな病気をすることはなく健康ですが、病院にかかる機会がある度に、医師の診察を注意深く、見ています。そして、医師だけでなく、やるべきことを満足にやらず、納得できるような説明もしないで、下記の発言をする者には、注意を払い、自分もそのようなことをしていないかを戒めるようにしています。

  • 『冷静になり、考えていきましょう。』、『しばらく様子をみましょう。』

上記の発言は、いい加減な対応をして素人を煙に巻く者には、実に便利なことばなのです。このことは医師の分野の病気に限ったことではありません。私たち士業といわれる弁護士・税理士・社労士や各種コンサルタント、メーカー、制作会社すべての業種で共通かもしれませんが、世の中には次の2パターンの人しかいないのです。

  • 『治したい(つくりたい)と考えている者』と「本気で治す(つくる)意志を持った者」がいることです。

もちろん、適当に流してやっている者は、論外なのは言うまでもありません。双方のいずれかが、『治したい(つくりたい)』という依存的・願望的な心理状態の場合、良い結果は期待できません。両者がともに、「本気で治す(つくる)意志」をもったとき、問題は解決し奇跡が起こるのです。

『試験に合格した。』、『ある有名企業に就職した。』、『業界で長年やっている。』、だから、本物なのではありません。「やり遂げる意思を持った者」のみが本物なのです。そこには、年齢や経験などは関係がないのです。世の中には、似非と本物しかいない。上記は、すべての件で共通する考えだと思います。

作成日:2010年8月30日 屋根裏の労務士

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