コラム Column

『憲法9条とノーベル平和賞』

秋は、ノーベル賞の受賞シーズン。毎年、ノーベル賞候補の報道がはじまり、すべての発表が終わると、深まりゆく、秋の情緒を感じてきます。

日本人が3人もノーベル賞を受賞したことは、何とも嬉しいニュースであります。その中で、今回のノーベル賞候補における一連の報道で、下記の報道が、何か、気になっていました。

  • 『憲法9条にノーベル平和賞の受賞を』という運動。

『憲法9条にノーベル平和賞を』という運動は、神奈川県に住む主婦の提案から始まったそうです。ノーベル賞が好きな日本人。9条を受け容れることが出来ない人でも、9条がノーベル平和賞になれば、受け容れられるという狙いがあります。日本国憲法第9条を、ノーベル平和賞に推薦した、実行委員会と、これに賛同する人たち。賛同の署名が、44万人も、集まったそうです。

私は、日本各地にある、戦争に関する資料館や記念館があれば、出来る限り、訪れるようにしています。訪れる度に、胸が、いっぱいになります。戦争の悲惨さ、恐ろしさ、何より人間の過ちが、骨身に沁み込んでくるのです。

特に、特攻で、尊い若い命を失った人達。英霊が最後に残した、「遺書」。読み返す度に、心が痛くなります。胸がいっぱいになります。

  • 平和のありがたさ。
    心に、沁み込んできます。
    平和のありがたさ。
    体中に、沁み込んできます。

何より、現在の「平和」が、空気の如き、当たり前の様に、あるものではなく、多くの方の犠牲の上に、感謝の中にあるものだと、改めて、感じてきます。

戦争記念館には、最後の出口に、訪れた人の感想を書くノートがあることが多いです。ノートの中に、溢れる数多くある、次の言葉。

  • 「平和が一番」
    「平和が大切」
    「平和に感謝」

私は、戦争を知らない世代。戦争を知っている世代とは、「平和」の受け止め方や理解の深さが、違うと思います。分かっていないこと。多いと思います。それでも、「平和」については、考えさせられることが多いものです。

日本は、戦後70年近く、戦争がなく、「平和」な国です。このありがたい、「平和」。来年は、戦後70年になる記念の年。来年は、戦争や「平和」を考え、取り上げられることが増えてくるはずです。

日本が、70年近い期間、「平和」であることの一番の理由。私は、それは、下記だと捉えています。

  • 在日米軍と自衛隊の存在。

戦後日本の「平和」を外部から守ってきたのは、在日米軍や自衛隊の存在だという事実。悔しいですが、「平和」を守ってきたのは、憲法9条ではなく、在日米軍と自衛隊の存在だということ。

憲法9条は、一定の解釈の下に、運用されてきたし、今でも運用されています。日本の「平和」に、大切な役割を果たしているのも事実。弱腰と言われながらも、憲法9条があったので、内部から暴走をさせずに、戦争に巻き込まれないで、「平和」を維持出来ていた面もあると思います。

一方で、外部からの危険を守ってきたのは、明らかに、軍隊による抑止力だという事実。外部から日本を侵略してきようとする敵が、日本に憲法9条があるから、それが抑止力となり、侵略しないでいたなんて、ありえないからです。そんなことを本気で思い込んでいる人は、よっぽど、平和ボケした理想主義者でしょう。

現実的に、戦後、日本の平和は、アメリカに安全保障を依存することによって、守られてきたのです。『憲法9条にノーベル平和賞を』という運動。私には、何か、違和感がありました。賛同する一方で、違和感があった人も、多かったと思います。

『憲法9条にノーベル平和賞を』という運動する人は、軍隊の抑止力が、平和を守ってきたという、この生々しい現実を、直視していない様な気がしています。軍隊の抑止力という事実が、どこかに消えてしまっているような気がするのです。

日本は、自国の安全を米国に守ってもらっています。そのため、様々な米国の意向に逆らうこと。事実上、なかなか、出来ない状態にあります。実際、これまで、日米構造協議や郵政改革、昨今のTPPなど。日本が米国との通商交渉で、日本が有利な条件で、国益をきちんと主張ができていません。

日本社会は、これまで、さまざまな面で、無理難題をアメリカに要求され、のまされてきました。更に、それだけではありません。国際社会の情報戦でも、日本は、敗北を続けている状態です。

『憲法9条にノーベル平和賞を』という運動は、この事実に、きちんと向き合っていないような気がするのです。憲法9条をもっているメリット、デメリットを今一度、考える必要があるのは言うまでもありません。

また、日本国憲法のあり方や評価は、護憲派、改憲派など、国民でも様々。大きく意見が分かれるところです。特に、9条改正については、最も、大切かつ慎重に、対応すべきデリケートなところです。

憲法改正や安全保障は、今後の日本人が日本の国民性や伝統文化、歩んできた歴史、交際情勢などを踏まえて、慎重に取扱い、審議していくべき最重要の課題です。そこに、ノーベル賞という外部の大きな権威と価値観。入ってくるのは、おかしい様な気がしています。私には、何か、違和感があるのです。

日本人のことは、そこに住んでいない他の国の方には、理解できないこともあると思います。人間には、理解しあえないこと。他人が入れないし、入ってはいけないこと。デリケートなところ。誰にでも、どこの国にも、どこの組織でも、あると思います。

日本人はノーベル賞を、水戸黄門の印籠の様に思っているところがあります。仮に、この運動の結果、9条がノーベル平和賞を受賞してしまえば、護憲派が有利になり、改憲派には、不利になる可能性が高くなるような気がしています。

憲法改正が、取り上げられる度に、ノーベル平和賞のことが、頭をよぎるようになってしまうような気がします。日本の極めて大切な課題に対して、それこそ、公正かつ慎重な審議。出来なくことになります。

仮に、憲法9条がノーベル賞を本当にとることがあったら、受賞者は、一体、誰になるのでしょうか。あるメディアで、『日本人全員が受賞』の様なコメントをして夢想にふけっている解説者がいました。ご存知の通り、そもそも憲法9条をつくったのは、日本人ではありません。米国の統治下にあった時、GHQがつくったものです。

憲法9条の問題は、デリケートな問題。ノーベル賞という権威であり価値観と絡ませて、扱って欲しくないという人も多い様な気がしています。

作成日:2014年10月20日 屋根裏の労務士

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