「きっかけ!」
日本人の英語力は、世界214カ国中197位というデータがあります。アジア24カ国の中でも、毎回、ドン尻から1、2番目です。ちなみに、日本の英語力を取り上げるとき、TOEFLの受験人数の平均点を順位別にしているそうです。日本人は、他国に比べて圧倒的に受験者数が多く、他の国は一部の優秀な者しか受験していない傾向にあるため、信憑性は疑われるところのようです。しかし、少なくても日本人が英語に弱いことは、受け止めるべき事実でしょう。メディアでも英語教育義務化について、賛否両論の意見が取り上げられてくるようになりました。小学生から英語教育を義務教育にすべきではないとする人は、次の意見です。
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「英語はあくまでも手段であり、内容に重視した国語力を強化すべきである。」
最近、英語力が劣るという事実だけでなく、国語力の低下も問題視にされています。反対者は、初等教育の段階では、しっかとした内容を構築できる国語力を十分に教育して、まずは身につけさせるべきという意見です。また、週に1時間程度、年間35時間の英語の授業を取り入れたところで、たいして効果は期待できないという見方もあります。
私は、この少ない授業時間数を聞いたとき、直感的に非常に良いことだと思いました。恐らく、この程度の時間数では、コミュニケーションが出来るようにはならないでしょう。では、なぜ、私は良いことだと思ったのかというと、次のことを感じたのです。
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新しい「英語の世界」に触れる機会を与え、世界観を広げさせる「きっかけ」となる。
私が小学生の頃、外国人の方が学校にくるだけでも、とても嬉しかったものです。大都市圏に住んでいると異文化に接する機会がたくさんあります。しかし、地方では、そのような機会自体がまだまだ少ないと言えるでしょう。小学生のときに、様々な世界に触れさせるだけでも、単純にメリットがあると思います。限られた世界しか知らない中で、「言語」という究極の異文化を知る機会を得るのです。
授業の内容も、指定テキストもなく体験型の授業という枠組みなので、恐らく、英会話の触り程度でしょう。私が小学生の頃、週に1時間程度の授業というのは、通常、「あそびや教養」の時間でした。近年、ゆとり教育も見直されているようですし、1時間程度の「英語教育のゆとり」もあっても良いのではないでしょうか。
教養程度の英語授業で、自分で面白いと思ったら、「自分から勉強したい」と言いだし、自発的に勉強したり、英会話学校などにいくようなるでしょう。大切なのは、触りの「楽しさ」だけを学校で、与えればよいと思うのです。
社会人になっても、企業によっては、社内・社外の研修を含めて、様々な研修があると思います。しかし、どんなことでも、研修の時間だけで、マスターして実務に精通できることはまずないでしょう。多くの研修は、あくまでも、「きっかけ」に過ぎないのです。しかし、その「きっかけ」が、ある人には、専門性を高める「きっかけ」となり、ある人には、ビジネスのヒントや各種の考え方に大きく影響する「閃き」となり、「きっかけ」となると思うのです。「きっかけ」程度の英語教育には、大きな可能性を感じています。
作成日:2011年1月24日 屋根裏の労務士