「現場の悪臭!」
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『理想論』と「現実論」を認識することの大切さ
私は、『コンクリートから人へ』の理念に基づくマニュフエストは理念的には正しいと思っています。個別に見ていけば、言っていることは正しく、もっともなことです。しかし、それは頭の中で考えている理想論でしょう。現実問題としては、どうでしょうか。そんなに頭の中で考えている程、現実は簡単にはいかないです。皆様は、数々の問題が解決されないまま、「なぜ、先送りになっていると思いますか?」当たり前かもしれませんが、私は次のように受け止めています。
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「現実論ではすべてのことで今に至った経緯と相手があり、現場の悪臭を自分の臭いとして感じることが難しいから。」
例えば、私の仕事の範囲でもある年金制度の問題は、いまだに多くのことが解決されていません。頭の中では、問題は簡単に思えるかもしれません。しかし、毎月保険料を払っている「相手」がいて受給を受けている「相手」がいるのです。日本の年金制度改革は、世界にも例がないような大規模な制度変更です。現実は簡単で綺麗に正解のある問題ではないでしょう。老後の生きていく糧の年金制度の設計は、数学やパズルではないのですから。
常に「相手」がいて「悪臭ある現実」は、理想的に雰囲気で考えている程、簡単で綺麗ではありません。このことは、企業内の労務のことでも同様でしょう。すべては、今に至った経緯と「悪臭ある現実」があり、企業ごとに積み上げられた独自の世界観の中で、「相手」がいる話なのです。
他人に責任転嫁をする社員は、会社に不満があるときに、すぐに過去の悪臭を持ち出し、臭いの無い理想論を言いだします。通常、不満を言ってくる社員の言い分は、概ね正しいのです。なぜなら、『あるべき状態の理想論との差異』を主張してくるからです。しかし、現実論で考えれば、すぐにそんな臭いの無い理想的な状況にはならないし、ユートピアのような臭いの無い企業は、現実には無いのです。企業は、常に厳しく付けつけられた現実と向かい合い、「相手」がいる中で悪臭漂う現実と闘い、走りながらあちこち対応をはかって、舵取りをしているのですから。
ところが幹部でありながら、現実の臭いが分からない人は、きちんと現場レベルの問題に向き合おうとせず、理想論と現実論を混同して、最初からあるべき姿に簡単になると思っているのです。理想論を主張する社員と一緒になり具体的な努力もしないで、会社にできた悪臭を野党のような立場で、批判しているのだから、困ったものです。
私は、制度変更や制度構築は、何かを持ってくればすぐに導入できるものではないし、ましてや運用をしていくのは、根気よく継続的な努力が必要である旨を説明します。そのために、役員がいて幹部の方がいて、私もいるのです。簡単であれば、もうとっくの昔に済んでいる話です。ところが現実は多くのことが、先送りになっているのです。
国家の運営と同様に、企業の活動も簡単でありません。何かひな型をもってきて置いておけばよい程、現実は簡単ではありません。そこには、「常に相手がいて、今に至った経緯と現実がガレキの壁のように立ちはだかる」からです。そのことを頭の中で知っているだけでなく、悪臭の漂う現場の臭いが分かり、その悪臭を自分の臭いと認識しないと、多くの課題は解決できないと思うのです。
悪臭は過去の者だけでなく、今を生きる私自身も常に発しています。生きていくということは、過去の悪臭を背負い、それを頑張って消しながら、一方、自分自身でも何らかの悪臭を出しているということではないでしょうか。人は過去に出来た臭いを自分の出した臭いとして感じることは難しく、自分を厳しく律していないと、現在の悪臭を自分には責任がない、他人が出した悪臭としてしまう自分がいるのです。
作成日:2011年7月18日 屋根裏の労務士