『見ている世界』と「見える世界」
出発の前日に、二人で「夏休みだから、どこかに行こう。」と話していました。学生でお金もないので、「自転車で行こう。」ということになり、宿は、「野宿すればよい。」ということで、翌日早朝に、簡易テントと地図、少しの着替えと僅かなお金を持って、出かけてしまいました。
地図を見ていたら直線で120キロ程度。時速20キロで走れば6時間。信号待ちを考慮しても、10時間も走れば着くだろうと気楽に考えていました。群馬から、埼玉県を抜けて八王子までは順調でした。朝なので道路も空いていて、4:00に出発して午前中の間に東京に入ったので、このペースなら、当日には湘南の海を楽しめると思っていました。
ところが、八王子に入ったら目的地の鎌倉まで丘陵地帯で坂ばかり。この夏最高気温の炎天下の中、様々な想定外の状況に出くわし、道にも迷いながら着いたのは、結局夕方の18:00過ぎでした。当時、私は多摩丘陵などの地理で教わった言葉は知っていました。しかし、坂なんか私の住んでいた群馬より少ないと思っていたのです。何度も、バスや車で行ったことがありましたが、自動車から見ていた風景では、丘陵地帯なんて、きちんと見えてなかったのです。そのときに、気が付き学んだことは次のことです。
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自動車から『見ている世界』と自転車から「見える世界」は、全くの別世界である。
この自転車で「ちょっと行ってくる」といった経験は、貴重な気付きがたくさんありました。そのひとつが、横田の米軍基地の道を自転車で通った感覚です。これまで自動車の窓から、何度も見たことがありましたが、全く別の世界に見えたのです。横田基地の近くにいたとき、次の感覚がありました。
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「何か大きな力で抑えつけられているような感覚」
広大な敷地の横田基地の風景。群馬では目にしない、外国人ナンバープレート。何か怖さが伴う灰色の戦闘機。音はうるさいし、何よりも危なそうである。高校1年生の夏休みの頃は、中学生程度の歴史知識での世界観しかありません。当時は、自分で経済や軍事のことなども勉強していない状態。学校で教わった、日米安全保障条約と米軍駐留の意味。あの時、子供の私が受けた感覚は、守られている感覚はありませんでした。
私は、歴史観も軍事のこともよくわかりませんでしたが、米軍を抱える地元の人達の苦労は、『タイヘンナモノ』だと察しました。何より、軍隊というのは、『ドエライモン』だと子供ながらに、感じたのです。正直、この『ドエライモン』とは、「善悪や功罪を大きく超越している」という感覚です。人間の業のような現実的、理念的な説明なんか、とっくに超越しているでしょう。
大学生のときに初めて沖縄に行ったときも、嘉手納基地と普天間基地に足を運びました。実際に目にした普天間基地。そこは、『タイヘンナモノ』を超えていました。『見ている』だけの私と、実際に住んで毎日「見る」地元の人。それこそ「見える」ものは、天と地ほどの差でしょう。『見ている』だけの私には、到底その『タイヘンナモノ』は分からないし、『分かっている』なんて、地元の人に対して絶対に口に出来ないでしょう。
世の中には、『見ている世界』と「見える世界」があります。そんなことを少しだけ分かった、「ちょっと行ってくる」でした。
作成日:2011年7月25日 屋根裏の労務士