「カフカ作品で考える労務の対応!」~後編~
前回のメールマガジンで当時を振り返りながら、現在を生きる中でもカフカの作品は、人間心理の深層を知り、立たされた状況を知りえる何かヒントとなる旨を述べました。
それに対して、各種ご感想を頂きました。そのご感想の中に、ある作品との違いを述べていた方がいました。それは、次の短編小説です。
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中島敦の「山月記」
「山月記」は、多くの国語の教科書にも載っています。話の内容を知らない方は少ないでしょう。
山月記は、虎となってしまった主人公が再開した友人に、反省の念を持ち、語りかけることによって、虎に変身してしまった理由が述べられていきます。
一方、カフカの「変身」には、おぞましい姿の虫になってしまった理由は何も述べられていません。
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『なぜ、虫になってしまったのか?』
何か意味不明のまま、ある日、周囲のお荷物となり、ドンドン周囲の厄介者になっていくのです。
主人公が過去に何か悪いことをしてその罪滅ぼしで、虫になったわけでもない。何か周囲と不調和を起こしていたわけでもありません。自分の心の中に、何か醜いものがあったわけでもありません。
上記について、作品の中では何も描かれていません。ごくごく普通のサラリーマンだった主人公が、ある朝、突然、目が覚めると虫になってしまうのです。
しかし、ここにカフカ文学における世界観の真骨頂があると言えるでしょう。
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「理由なんて、何も無い。」
おぞましい姿の虫になってしまった理由なんて実は、何もないのです。あえて言うのであれば、これは次のことでしょう。
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「事故」
人は、生きていく中で、大なり小なり様々な「事故」に遭遇する。その「事故」は大きく二つに分けられます。
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『理由のある事故』
「理由のない事故」
何か失敗した原因が明確で不注意によるものであれば、『理由のある事故』です。これには、個人や組織への『戒め』が必要でしょう。
『戒め』によって、論理的に事故を未来に向けて前向きに変えていく、原動力としていくことができるのです。つまり、起きてしまった事故を受け止めて、消化していくことが可能になるのです。
しかし、人が生きていく中には、若しくは、企業が活動していく過程では、「理由のない事故」というのが、多分に存在し得るのです。
そのような事故のような現実には、『戒め』によって、何か論理の力で、受けとめていくことは出来ないと思うのです。
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「理由のない事故」と対峙していくこと。
近年の会社経営や労務の問題の難解さはこの「理由のない事故」と対峙していくことが多分にあり得るのです。
カフカの作品には、「理由のない事故」に対して『戒め』による論理の力ではなく、具体的に対峙していくことを通じて、自分たちの置かれた状況を客観的に知っていくことが出来る作品だと思います。
まずは、自分たちの置かれた圧倒的な不幸の状況を客観的に掴むことにより、現実逃避をすることなく、大きな問題と向き合っていく動機づけがあり、そこにカフカ作品の美学があるような気がするのです。
作成日:2012年9月17日 屋根裏の労務士