『べき論』と「方法論」!
企業の多くが休止しているので、年末・年始の時期は、過ぎた時間の経過やこれからの課題を何か、より、客観的に受け取れるような気がします。
報道番組や新聞記事も、1年間の出来事を総括したり、新たな年に向けた、日本の課題について、論じることが多くなります。その中で、年末・年始に報道番組を見ていて、次のことを感じていました。
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「方法論」を論じる難しさ
各種報道されている内容に、「方法論」は少ない。論じられている多くは、下記です。
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『べき論』
エネルギー問題、領土問題、年金問題、若年層の雇用の問題などなど。様々な難解な問題を抱える日本。報道されている内容の多くは、『べき論』でしょう。
『このようにあるべき』。
『このようにすべき』。
『このように変えるべき』。
私は、この『べき論』を、悪い意味で、受け取っていません。単なる理想的な精神論とは、捉えていないのです。『べき論』は、現実論を踏まえ、その上で論じているからです。
それに、すでに知っていること、ワカッテいることでも別の人物の思考を通じて、述べられる言葉には、何か、少し、視点が違なります。何かに改めて気が付き、ヒントになることも多いからです。
手っ取り早く、「方法論」があれば、それが何より一番良い。しかし、そんなに簡単に、「方法論」というものが眼前に出てくるはずがない。ましてや、自分にピッタリあった、「方法論」がその辺に落ちているはずもない。
何事も多くの問題や課題は、現実論を踏まえて、まずは、『べき論』から始まるのでしょう。
『べき論』をしかと持ったうえで、混沌とした現実と具体的に対峙。自分なりの「方法論」を見出していくのだと思います。『べき論』も無い状態では、「方法論」が出てくることはまず、あり得ないと思うのです。
『べき論』と「方法論」の間には、大きな溝が横たわっているのだと思います。そして何より、『べき論』と「方法論」との繋がりを見つけていくことが大切だと思うのです。
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『べき論』と「方法論」を繋ぐものは何か?
それは、「小さな行動という灯」の繰り返しだけでしょう。それは、マッチでつけた僅かな灯。その灯は、吹けば消えてしまいそうなかすかな灯。しかし、このかすかな灯が、偉大な「方法論」となる炎になる最初の火。
近年の不確定な経済は、暗闇漂う現場の中で、何度も何度も、行動というマッチで、小さな火を灯しながら、何とか、手探りで、進んでいくようなことなのかもしれません。
何事においても、簡単に、「方法論」が見つかるはずもない。『べき論』をしかと持ち、心のマッチで、行動という火をつけて。
少し、遅くなりましたが、本年も宜しくお願い致します。
作成日:2013年1月14日 屋根裏の労務士