コラム Column

「老いが意味すること」

ゴールデンウィークに、実家に帰りました。昨年、私の父母はともに、70歳を迎えました。実家に帰り、父母と話をすると、下記の話になることが増えてきました。
  • 自分たちの「最後」についてです。
    つまり、自分たちの「死」です。

60歳の定年を迎える前は、実家に帰ると、度々、年金を中心とした、退職後の社会保険やライフプランについて相談を受けていました。60歳のときに、相談にのっていたとき。定年後のシルバーライフについて、何やら、少し楽しそうな雰囲気でした。還暦のお祝いムードがありました。

クライアントの中で、毎年、50歳から60歳ぐらいを対象にした、ライフプランセミナーを実施している企業が数社あります。定年退職後の第二の人生プラン。私の担当は、年金についてです。

毎回セミナーに参加して頂く方の雰囲気。どこの企業でも、そこに、悲壮感はありません。何か少し楽しそうな雰囲気です。正直、60歳ぐらいでは、まだまだ若い。体も健康で、気力も十分。多くの人が、本当の定年は、まだまだ、先に考えていると思います。

父は、定年退職後、しばらくの間、高校で社会科の非常勤講師をしていました。今は、年金暮らしとなり、仕事はしていません。最初の頃に教えた生徒たちも、60歳になり、定年退職。年を重ねると先生と生徒の関係。友達に近い関係になるそうです。完全に教職を離れてから、毎日を過ごす時間。本当に、早いそうです。

昨年、父は70歳を迎えました。自分の「人生の最後」について、具体的な準備をはじめています。父は、自分の最後の時期を、次のように言っていました。

  • 「楽観的な見方をすれば、90歳まで、あと20年。」
    「しかし、あと2、3年の寿命ということも、あり得る。」

60歳から70歳までの10年間。それこそ、「あっという間」だったそうです。70歳を過ぎてからの一年一年が過ぎていく時間。さらに、早い時間感覚で、過ぎ去ると考えているようです。人生の最後の時期は、誰にもわかりません。しかし、父の言葉の節々とその姿。下記のことを感じるのです。

  • 「人生の終わりを、確実に受け入れている覚悟。」

そこには、還暦を迎えたときにあった。楽しそうな、お祝いムードはありません。しかし、不思議なのですが、その姿。何か、輝いているように映ったのです。

人間は、自分の最後を受け入れ、残された人生を歩むとき。魂が熟して、精神が浄化。その存在自体が、輝いてくるような気がします。

それを考えると、下記のことに、ふと、気が付くのです。

  • 「老いは、怖いことでは無い。」

年を重ね、年輪を重ねることは、人間としての何か深みに、到達していくことだと感じるのです。父母は、最近、たくさんのことに、感謝の気持ちが持てるそうです。周囲の幸せを願い、日々、生きていることに、喜びを感じるそうです。

企業経営でも、70歳を過ぎると、一線を外れ、次の世代に、事業承継をする経営者は多い。一線を外れても、社会と多大に接点を持つ経営者。皆様、まだまだ若いし、オーラもあります。何より、頭がしっかりとしています。

私が担当する労務に関することについても、打合せに参加して、新しいことを学んでいく向上心もあります。今回、定年に関する法改正の打合せで、70歳を過ぎている役員や80歳を超えている社長と打合せをしました。

あれこれ質問をして、しっかりと自分の頭で、理解をしようとする姿。自分の心配ではなく、社員の老後を考え、会社の存続と発展を考える姿。

  • とても、輝いて、映っていました。

年輪を重ね、人間としての深みに到達。そんな老いた姿は、魂が熟して、精神が浄化。そして、何か、輝き出すのだと思います。それを思うと次のことを感じるのです。

  • 「老いは、怖いことでは無い。」

老いを恐れ、老いにあがなう自分がいます。一方で、老いが意味すること。少しだけ、わかったような気がします。人生の大先輩の経営者と接すると、いつも、何か、大切なこと。気付かせて頂けます。何というか、それは、言葉ではないのです。

  • 何か、物事を受け入れる姿。
    何か、無常観を受け入れる姿。

その姿から、何か大切な、特別な情緒感が、伝わってくるのです。そんな言葉では表現できない、大切なこと。

  • 何かを知ることではなく、何かを感じること。

折に触れて、接する機会が持てる自分。とても幸せなことだと思います。そして、気が付き、感じ取った、大切なこと。周囲に伝えていきたいと思うのです。

作成日:2013年5月13日 屋根裏の労務士

お問い合わせ

電話番号 03-3988-1771 受付時間9:00~19:00(土日祝祭日を除く)

お問い合わせ

コラム

  • 採用情報