「万物は流転する!」
メールアドレスを変更した旨を友人にメールをして、何度か、挨拶程度の返信のやりとりをしていたら、実際に会うことになった友達がいます。
彼は、サラリーマンの時に、寮が一緒だった友人。当時は、毎日のように、顔をあわせていました。右も左もわからない社会人1年生の時から、退職するまで。深く、心通わせた、親友です。退職後、しばらく、連絡を取り合っていました。しかし、お互いの業界も異なり、休みの日も異なります。日々の忙しさの中で、何となく、疎遠になっていたのです。
今回、会うのは、実に、5年ぶり。二人だけで、会うのは、10年ぶりぐらいだったかもしれません。再開したら、当時のことを、次々と鮮明に思い出してきました。親友との懐かしい空気感。数々の思い出話に、花が咲きました。時間が過ぎるのを忘れて、久々の再開に嬉しくなり、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。それと同時に、あることに気が付きました。
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お互いが、変わってしまったことです。
時間の流れが、過去の事実を風化させる無常観。そんな時間の力も、感じていました。彼と会っていたとき、私は、次のように感じていました。
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彼は、随分と変わってしまったと
5年間、10年間という月日は長い。直近5年間だけでも、世の中、様々なことがありました。100年に一度の金融危機、リーマンショック。その後に起きた、1000年に一度の大地震、東日本大震災。原発事故に、計画停電。歴史的な政権交代も起こり、民主党政権が誕生。半ば、民主党の自滅のような形で、自民党の政権奪取。
振り返れば、世の中は、様々な大きな事件が起こり、ダイナミックに変わっています。社会という環境が変われば、人も変わるものでしょう。日々の労務の相談内容も、5年前とは変わっています。同じクライアントで、同じ相談事項であってもその内容やニュアンスから、対応は、だいぶ異なります。
社会の変化に伴い、働く人も変わっていることを感じます。雇用に対する常識感の変化です。退職する人がいて、新しく入ってくる人もいます。組織は、常に動いているのです。ずっと会社にいる人でも、何かしら、変わっているものでしょう。
人の集合体である企業体も、日々少しづつ、時に大きく、変わっていると思うのです。5年ぶりに再会した友人。かつては、私もいた業界の状況などを話してくれました。
今の状況を具体的に色々と話してくれるのですが、私には、もう、「わからない」のです。この「わからない」というのは、知識や情報が無いから、『わからない』のとは違うのです。
10年前は、何も語らずとも、多くのことを、当たり前の暗黙で、通じ合い、理解ができていました。同じ就業環境、共通の企業文化で醸成された当たり前です。今は、その当たり前を、当たり前で、感じることが出来ないのです。
最初は、彼が変わってしまったと思っていました。確かに、彼も、変わったはず。しかし、それ以上に大きく変わってしまったのは多分、自分の方なのです。
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大きく変わった自分
私には、もはや、前職の業界文化。特に、サラリーマンの感覚など。自分では気が付かない、無意識レベルで纏っていた臭い。それらが、すっかり、抜け落ちていたのです。もう、前職の業界では、飯を食っていけるようなプロでもありません。
自分が何者であるかというアイデンティティーも今の仕事である労務のコンサルタントになり、身も心も、労務のコンサルタントで、染まっているのです。
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糧を得るために、その業界のプロになるということ。
それは、身も心も、その職業に、どっぷりと、染まっていくことなのでしょう。染まっていくから、常軌を逸した能力を、得ていくのだと思います。
そして、その染まっていく過程の中で、自分が何者であるかという、アイデンティティーが形成。確固とした絶対的な存在になっていくのだと思います。恐らく、これが、天職というものなのでしょう。二足のわらじを履くことの難しさ。それが分かったような気がしました。
いくつもの業種をまたいで、事業をおこして複数の会社を経営する社長もいます。それぞれの業界ごとのアイデンティティーを確立させ、維持していること。物凄いことだと思いました。
前職での経験。現在の仕事には、実務的には、何も関係がありません。しかし、何らかの基礎的な能力として、DNAレベルで、書き込まれているはず。現在の仕事でも、膨大なノウハウやヒントに、なっているはずです。特に、大きな組織体の中に、自分が組み込まれていたこと。現在の仕事には、欠かせない、貴重な経験です。
一方で、自我としての前職のアイデンティティー。もはや、消滅して無くなっているのです。そこにいたのは、プロではなく、アマチュアの自分。
自分が、日々、変わっていくこと。自分では気が付きません。しかし、誰もが皆、変わっているのです。ギリシア人の哲学者、ヘラクレイトスは、それを次のように言いました。
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「万物は流転する。」
変わらないのは、過去の事実。過去の事実には、成功や栄光という実績もあれば、苦難、困難の中で、這い上がった経験、更には、煮え湯を飲まされた苦い経験もあるでしょう。人は、そんな過去の事実を背負いながら、日々、変わっているのです。
誰もが背負っている過去の事実。その事実を考える記憶や思い出ですら、認識する人が変わる以上、その捉え方は、変わってきます。自らが背負っている過去の事実に対して、10年前と同じ感覚や感情で、捉えることは、出来ないと思うのです。
そんな自分の変化を、久しぶりにあった友人の中から見出すことが出来ました。そして、お互いに、変わった今の自分たちで若かりし日々の事実を受け止め、今に活かせていけること。何か、物凄い勉強になりました。
人は、誰もが、日々、変化しています。過去の事実をしかと背負い、その影響を受けながら、「万物は流転する」のです。社会も、人も、企業も、その場その時に、留まることは無いし、出来ないのです。
離れていても、あまり会っていなくても、そして、お互いが変わっていても、過去に、ともに過ごした時間。苦難、困難のトラブルを、ともに乗り越えてきた事実。その事実は変わりません。
変わりゆく自分、変わらない過去の事実。そして、過去に直面した苦難困難の数々、変わらない過去の事実に対して、過去とは捉え方、受け止め方が、異なる現在の自分。そんな人生の無常観を感じていました。
「変わったなー」、「変わらないなー」という何気ない一言。
そこには、お互いを切り離すものでも、留まらせるものでもなく、別々の道のプロとして、結びつける、何か、前向きな感情がありました。それが、「成長」というような気がした、久々の再開でした。
作成日:2013年7月1日 屋根裏の労務士