「歴史から学ぶ反省」
私は、物心がついたときから、太平洋戦争が終わったことを「終戦」という意味合いで、捉えていました。しかし、最近、あの戦争は、「敗戦」という意味合いで、感じることが強くなりました。
特に、リーマンショック以後の国際情勢。冷戦下での均衡がさらに崩れ、世界は混沌とした時代に入ったことを感じてきます。かつての経済大国という立場は、失われつつあります。近隣諸国との外交を見ても、領土問題、歴史認識の件など、関係の改善に向けて、修復する兆しもありません。
参議院選挙の前に、橋本市長の従軍慰安婦の発言で大騒ぎになりました。近隣諸国からだけでなく、欧米からも、批判を受ける事態になっています。橋本市長は、メディアが断片的な報道をしたとして、猛反論。しかし、橋本市長を後押しするような状況にはなりません。結果、選挙で野党は惨敗。
与党の方も、麻生副総理のナチスに関する失言で多方面から、批判を受けています。政治家が歴史を語る難しさだけでなく、日本人が、歴史を取り上げる難しさを感じています。
参議院選の後、私は、近現代史の本を読み返しました。産業革命後の世界情勢から、現代までの概観。圧倒的な経済力と軍事力で、世界の覇権を握ったイギリス。それに、追随する白人諸国。
世界各国に自由貿易を認めさせ、イギリスを中心とした国際経済社会の確立。植民地争奪戦を繰り返すのです。日本も日清戦争、日露戦争を通じて、この植民地争奪戦に乗り出していきます。アジア、アフリカにとっては、苦渋の時代。その苦渋は、今でも、根深く、傷跡を残しています。
私は、近現代史を読み返す度に、様々な歴史解釈があることを知ります。誠に、歴史とは、様々な立場での解釈があり、その解釈の裏付けとなる事実があるものです。歴史ということを知る度に、人類という歴史の中で、「人権」という概念が、いかに未成熟であるかに、気付かされます。
歴史というのは、多様な解釈があります。たくさんの学ぶべきことに気が付きます。そして、たくさんの反省することに気が付きます。その中の一つが、下記です。
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「19世紀反省」
「20世紀反省」
19世紀というのは、今の常識観では、到底、捉えることが出来ない時代です。緩衝国のタイと日本以外は、すべて、白人諸国の植民地。世界は、支配をする側とされる側。いずれか一つしか無いのです。帝国主義、覇権主義が、国際常識となった狂気の時代。
20世紀では、2度の世界大戦。日本は、ほとんど降参している状態なのに、広島、長崎に原爆を投下される。日本の歴史の教科書は、「終戦」とその後の国際社会への復帰ぐらいまでが載せてあり、その後の、世界の動向に関する記述が、極めて少なくなります。
しかし、第二次世界大戦以後の国際社会の状況こそ現代を生きる中で、知っておくべき、重要な内容だと思います。現代を捉えて、理解するためには戦後の国際世界で、起こったことを理解しておく必要があると思うのです。
何か、日本では、そのあたりの事実関係と世界観がポッカリと抜け落ちている気がするのです。メディアで取り上げられるのは、戦後の高度経済成長を遂げていく日本の国内のことばかり。
第二次世界大戦後、「平和」ということが叫ばれながら、世界は、まだまだ、狂乱の時代が続くのです。あれだけ、悲惨な戦争を終結して敗戦国の責任を問うたのに、第二次世界大戦後も、戦勝国は、植民地を一向に手離そうともしません。
国連では、常任理事国。世界の枠組みの基本ルールは、自分たちで決めてしまう。その上、戦勝国は、核実験を散々繰り返して、早々と核保有国になります。
フランスは、植民地であるアルジェリアで大気圏核実験と称して、空中で核実験。他人の国で、地下ではなく、空中で放射能を拡散させたのです。アメリカにいたっては、マッカーサーが、朝鮮戦争でも、原爆を落とすことを要請する始末。
アジア、アフリカでは、次々と独立戦争。どの戦争も、目を覆うばかりの悲惨な内容ばかり。
日本は、戦後70年近く、平和憲法を掲げて戦争をしていないばかりか、軍力をもって人も殺していません。これだけの技術立国なのに、軍事産業で利益をあげていません。アメリカから、押し付けられた憲法であったとしても、戦後、一定の役割を果たしてきたのも事実でしょう。
冷戦が終わり、混沌とした世界情勢。日本人が、世界に対して、「19世紀反省」、「20世紀反省」を呼びかける資格は、十分にあると思うのです。
作成日:2013年8月5日 屋根裏の労務士