「世界史を勉強し直して」
イタリアに行く前に、世界史を勉強しておいて、本当に良かったです。現実に見える3次元世界の風景を超えて、時間軸をもって4次元的に、捉えることが出来たからです。
眼前に広がるイタリアの絶景。その絶景に至るまでの歴史の変遷。様々な歴史的な事実の積み重ね。人々の様々な、努力、格闘、苦労、苦しみ、悲しみ・・・。
歴史を掴むことにより、時空を超えて、重層的に、世界が見えてきます。世界史を勉強し直して、たくさんのことに、気が付きました。学生の時には、考えていなかったこと。理解ができていなかったこと。たくさんのことに気が付きます。
学生の時には、現実の仕事を含めた、社会の様々な問題や矛盾と対峙していません。歴史という同じテーマを学ぶにしても、学生の視点では、自ずとその理解には、限界があったと思いました。
社会の様々な問題や矛盾の中に、実際に身をおき、その現実と対峙した人の方が、問題意識をもって、鋭い思想の切り口により、歴史をかみしめ、現在に立脚できるような気がします。学生のときには、世界を、いかに、机上の知識でしか、捉えていなかったかに、気が付かされます。
私の専門である労務の分野についても、世界史を知ることにより、多面的な視点で、今一度、捉えるきっかけにもなりました。自分の専門分野について、「歴史的な視点」で捉えることができ、専門分野の理解を深めることが出来ました。
恐らく、皆様も、世界史を勉強すれば、自分たちの専門分野について、「歴史的な視点」で、理解を深めることが出来ると思います。ところで、書籍や報道などで、次の言葉を度々、目にしたり、耳にすることがあります。
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「歴史的に」捉える。
「歴史的に」考える。
「歴史的に・・・」
様々なケースで使われる、この言葉。 「歴史的に」という言葉の意味するところ。一言では表現できない、含蓄のある言葉だと思います。実際に、歴史を学ばなくては、その意味を理解することは、出来ないと思います。世界史を勉強し直して、あれこれと驚くことの連続でした。何より、唖然としたのは下記です。
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科学技術の進化に対して、
それを扱う人間の成長の無さ。
歴史的なスパンの中で、科学技術は、爆発的な進化を遂げています。しかし、それを扱う人間の本質的な成長。ほんのわずかだと思います。
例えば、約400前までは、世界の常識は、まだ、天動説です。そこからの進化は、説明するまでもないでしょう。一方で、人間そのものは、いつの時代でも、凝りもせずに、悲惨な戦争を繰り返しているのです。
世界史の主要なテーマ。それは、人類の戦争でしょう。その戦争が、直接的に勃発する原因。いつも、些細なつまらないことから、始まるものです。事実認識の掛け違いが、幾重にも複雑に絡み合います。
小さな歴史的な事実が、ひとつひとつ掛け違い。それらが、恨みや悲しみのように、心の壁のように、積み重ねられていく。そして、最後に、戦争という形で軍事衝突。殺し合いが行われるのです。
世界史という一冊の本の中で語られる、いくつもの戦争。いくつもの殺し合い。ひとつひとつの戦争に対する説明。それが、わずか数ページ、数行の記述・・・。膨大な損出や死者を出して、散々、苦しみ、悲しみを体験した挙句。人間自身の本質的な成長は、ほんのわずか。
科学技術は、その成長や進化が、目に見える形で、ノウハウとして、次の世代に確実に受け継がれていきます。一方、人間が持つ、本質的に、大切なことやその気付き。一代限りで終わり、次の世代には、余り引き継がれていかないような気がしました。
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人間の気付きや理解を伴う、
本質的な成長や精神的な成熟は一代限り・・・。
散々悲惨な体験をして、身を持って、大切なことを学んだにも関わらず・・・。時間が過ぎれば、また、悲惨な過ちを繰り返す。それが、人間の性なのでしょう。このことは、人や組織を取り扱う、労務についても同様のことが言えるような気がします。
就業規則や制度など技術的なことは、次の世代に、確実に引き継がれていきます。しかし、その技術的なことを取り扱う、人間自身の成長や精神的な成熟。多くのことを学んだ、気付きや理解。それらは、一代限りで終わり、次の世代には、余り引き継がれていかないような気がしています。
だから、繰り返して、何度も、何度も、伝えていき、また、学んでいく必要があるのでしょう。世界史を学ぶこと。「歴史的に」捉えること。色々と気が付くことがあるものです。
作成日:2014年2月10日 屋根裏の労務士