「オルセー美術館展」
オルセー美術館には、一生の内に一度は、行ってみたい美術館です。今回の来日で、フランスまで行かなくても、日本でゆっくりと、オルセーの印象派の絵画を堪能することできます。今回、多分、私は3回くらい、展覧会に足を運ぶと思います。
マネ、モネ、ルノアール、セザンヌ、ドガたちのオルセーが誇る印象派の珠玉の名画。それらが、東京にやってくるのです。
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「光と影」の芸術と言われる印象派。
印象派が出てくる前の絵は、影を表現するために、黒かこげ茶が使われました。しかし、印象派の画家たちは、さまざまな色の濃淡で影を表現したのです。
私が、印象派が好きなのは、その特徴的な表現力だけではありません。印象派の画家たちの現実と向かい合い、格闘する姿に、心が震えてくるのです。
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「挑戦していく姿」。
「挑戦心」と言えば、聞こえは良いですが、生きていきながら、自分の信念を曲げずに、挑戦を続けていくということ。簡単なことでは無いでしょう。頭で綺麗な夢と理想を描きながらも、常に、「生きていく」という現実と向かい合うのです。
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「生きていく」ということ。
それは、現実と向き合い、カネを稼ぎ、糧を得ていくことでもあります。
今でこそ、美しい表現として、評価が高い印象派。しかし、登場した当時は、売れるどころか、誹謗中傷されるような評価の日々。世の中から、全く理解がされません。
当時の美術会を牛耳っていたのは、古典主義的な絵画が、良いとされるアカデミー。フランス革命から100年近くも経っているのに関わらず、芸術界の権威は、旧態依然とした、17世紀以来のものでした。
『歴史画』や『聖書』などが、高貴なジャンルとされ、「風景画」や「風俗化」は、低俗なジャンル。画家として、認められ、カネを稼ぎ、糧を得ていくためには、伝統で縛られた、アカデミーが主宰するサロンで、入選していくしか道が無かったのです。画家としての成功モデルは、サロンでの入選だけしかないのです。
芸術の価値観は、アカデミーに牛耳られていて、その価値観に、他の価値観が入る隙もないのです。アカデミーの価値観は、既得権を超えて、常識と化しているのです。このように、当たり前のように、出来上がったアカデミーの権威。その権威に、挑戦したのが、あの印象派の画家たちです。
12年間で8回開催された、印象派展。そのいずれもが、世間からは誹謗中傷され、厳しい評価と散々な結果となります。古い権威への挑戦と自分たちの信念を掲げながらも、印象派は、一向に、世間で価値を認められません。絵は一向に売れず、生活は極貧状態。
そんな状況の中で、生活をしていくために、アカデミーが主宰するサロンに、出品する画家も出てきました。家が裕福ではなく、本業で生計を立てていくしか無い画家たちです。それが、ルノアール、モネ、セザンヌ、シスレーです。
彼らは、高き理想を抱きながらも、自分たちと価値観が異なるサロンで入選しなければ、今日のパンが得られない状態なのです。
生活に困窮して、サロンに出品するルノアールたち。彼らを猛烈に批判して喧嘩状態になるのが、ドガです。ドガは、印象派のメンバーが、サロンに出品して、落選すること。それが、印象派の評価を著しく落とすことになるとして、サロンの出品を怖れていたのです。
また、マネは、第1回の印象派展の10年以上も前に、印象派的な手法で、絵画を画いた画家。「光と影」の先駆けとなったような画家です。しかし、印象派の兄貴分のマネは、印象派展には、一度も出展しませんでした。
マネは、あくまでも、サロンでの成功に、こだわり続け、自分の生き方の道とするのです。印象派の画家たちと、少し距離を置いた上で、印象派に協力を続けたのです。
その他にも、個性派ぞろいのメンバーの仲を調整して、つなぎ役となったのが、ピサロです。ピサロは8回あった印象派展にすべて参加しています。
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それぞれの画家たちの実情や苦悩。
ものすごく、泥臭くて、人間臭いのです。「生きていく」という現実や人生の難しさ。それらが、何か、伝わってきませんか。
印象派が成功をするのは、パリで失敗した8回の印象派展の後。画家たちの極貧状態が増す中で、画商、デュラン=リュエルが、一発逆転を狙いアメリカで市場開拓に乗り出します。ニューヨークで大成功をおさめ、その後、フランスでも評価が高まり、名声を確実のものにしていくのです。
印象派の評価が高まる中でそんな成功を見ずに、亡くなる画家もいました。「光と影」の技法で、極貧状態の生活の中、岩盤のような既得権の権威に挑戦を続けた印象派。その挑戦は、掲げる理想と生活のために、カネを得るという現実の中で、「生きていく」という、泥臭くて、人間臭い、人生の苦悩の中にあります。
人生とは、理想郷のような綺麗な絵画ではありません。「生きていく」ということは、簡単なことではありません。人生とは、誠に、様々な実情と感情が、複雑に入り組みながら。悩み、迷って、走りなら、毎日が、「生きていく」という現実との格闘。暗闇の影の中を、僅かな光を見出して進んでいくかのようです。
印象派の画家たちの人生や苦悩を知りながら、「光と影」の作品に、また、何か特別の想いを感じるのです。今回、オルセーの印象派で見つける美も、また違う何かだと思うのです。
作成日:2014年4月21日 屋根裏の労務士