コラム Column

「中欧の休日」・・・前篇

先週お会いしたクライアントから、下記のことを聞かれました。
  • 「年末・年始は、どこにも行かなかったのですか?」

毎年、年明けの最初のコラムは、海外旅行記の内容が多いので、旅行記のコラムを期待していたそうです。小生は、今年は年始から、次々と、重篤な相談が続いており、毎日、厳しい現実と向かいあっていたので、旅行気分のフワフワしたコラムを書く気分になっていませんでした。

実は、年末年始の休日に、中欧3ヵ国に行ってきました。中欧とは、オーストリア、チェコ、ハンガリーの3ヵ国です。それぞれの国の中心都市であり、首都であるウィーン、プラハ、ブダペストの街を訪れてきました。

中欧3ヵ国と言っても、一つ一つの国の大きさ。北海道と同じぐらいの広さしかありません。3ヵ国を足しても、日本の3分の2程度の広さしかないのです。そこに、3ヵ国を足して、日本の4分の1程度の人口しかいないのです。

移動も、それほど、大変ではありません。各都市の移動時間。空路では1時間程度、列車では半日程度です。北海道を広い範囲で旅をするような感覚です。

世界の都市の中でも、独特な美しさがある中欧の3都市。ウィーン、プラハ、ブダペスト。以前から、それぞれの街に興味を持っており、自分の中に、都市の美意識を取り込んでおきたかったのです。

最初にプラハに入りました。プラハは、「百塔の都」とよばれていたり、「建築博物館の都」と呼ばれています。プラハは、千年の歴史を持つ都市。中世からの戦禍、ナチスの支配、プラハの春と激動の時代を繰り返しながらも、奇跡の様に破壊されずに残った1000年の都。

プラハは、第一次・第二次世界大戦の甚大な被害を受けずに済んだのです。その後の資本主義の高度経済成長による近代化の波にも影響をほとんど受けませんでした。

そのため、中世からの建築や街並みから、斬新なデザインの現代アートの様な建築物まで、見事に立ち並んでいるのです。プラハを歩いていると、まるで、過去と未来が融合して、タイムスリップしたかの様な感覚にもなります。

ロマネスク建築から近代建築まで、各時代の建築様式を見ることができます。街全体が世界遺産にも登録されている美しい街です。小生は、前職が建築屋だったので、以前からプラハには、一度、訪れて街の建築物を勉強しておきたかったのです。

また、チェコは、現体制になる前に、共産党体制を打倒すために2度の歴史的な事件が起きます。

  • 最初に起きた、「プラハの春」
    その19年後に起きた、「ビロード革命」

「プラハの春」では、自由と民主化を求めた、ヴァーツラフ広場に集まった市民に対してソ連をはじめとするワルシャワ条約軍の戦車が、広場に乗り入れて占拠。自由と民主化を求めた革命は、実ることはなく、1970年に「プラハの春」は終焉。

その19年後、東欧に、自由と民主化を求めた時代のうねりが起きるのです。ベルリンの壁が崩壊した出来事をテレビで見た市民がそれに呼応するかの様に、再度、ヴァーツラフ広場に集結。1万人以上の大規模なデモが起こるのです。

血を流すことなく、ソフトで優しく革命が達成できたことから、滑らかで光沢のある織物のような革命として、「ビロード革命」と呼ばれました。

1989年に、共産党体制は崩壊。翌1990年には、ついに、複数政党制による自由選挙が行われたのです。1992年6月の選挙では民主スロバキア同盟が勝利。その結果、それまで互いに反発していた、チェコとスロバキアの分離は決定的となりました。1993年1月にチェコスロバキアはチェコとスロバキアに平和的に分離。

血を流さずに、革命が達成され、平和的に分離したので、日本では余り大きくトップニュースで取り上げられることはなく、日本人からしたら、いつの間にか、チェコスロバキアはチェコとスロバキアに分離していたという感覚だと思います。

ヴァーツラフ広場は、広場というより大通りです。幅60メートル、長さ750メートルもある歩行者専用の大通り。ヴァーツラフ広場のクリスマスマーケットを歩きながら、自由と民主化を求める人々の力。そんな人々の力を、プラハの街から感じたりもしていました。

作成日:2016年1月18日 屋根裏の労務士

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