『反面教師』と「内面教師」
毎回、車窓から見ていた街の風景。何か、実際に歩いてみたい気持ちが湧いてきて、途中下車をして、ぶらっと、夜の街を散策してきました。
駅から少し離れた居酒屋に入り、くつろいで、一人、お酒を飲んでいたら、隣の席から、会話が聞こえてきました。サラリーマン3人が、愚痴を言い合いながら、飲んでいる会話が聞こえてきたのです。飲み屋では、度々、見かける風景です。
会社や上司、組織への不平不満。途絶えることなく、次から次へと、流暢に出ていました。そして、その愚痴を結論づけるような下記の言葉。何度も、繰り返し、発していました。
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『反面教師』
不平不満の対象者。自分たちにとって、『反面教師』だと言っていたのです。『反面教師』という言葉が意味すること。辞書では、次のように説明しています。
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悪い面の見本で、
それを見るとそうなってはいけないと
教えられる人や事例のこと。
それを見ることで、反省の材料となるような人や事例です。言行が、そうしてはいけないという反対の面から、人を教育するために使う言葉だと思います。
自分が所属している組織の人に対して、『反面教師』という気持ちで捉えること。時として、人にはあるものだと思います。理不尽な上司、嫌な先輩、卑しい同僚、生意気な部下。現実的な問題として、組織の中には、自分とそりが合わない人が、居るものだと思います。
そんな状況の中で、理不尽な対応をされたり、頭にくる様な気持ちになった時。相手を『反面教師』として捉えて、自分の気持ちを処理すること。時として、人間にとって、必要な心の持ち方かもしれません。しかし、私は、この『反面教師』という言葉。何か、違和感を覚えるのです。
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『自分は、あのような人間には、決してならない。』
上記の様に思ったり、考える時。人間は、心の奥底に、次のような思い込みが、ある様な気がしているのです。
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『自分は、決して、あのような人間ではない。』
あのような人間には、間違ってもならないし、実際にも、なっていないと思い込んでいるのです。
以前、昔の知人と飲みに行ったときです。日常的に、理不尽な言動をしている上司や同僚に対して、『反面教師』という物言いで、職場の愚痴を私に話していました。『反面教師』として、批判的に話している彼の姿を見て、私が、感じたことです。
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彼も、また、彼の上司や同僚と大差ないということ。
『反面教師』とは、悪い面の見本で、それを見ると、そうなってはいけないと教えられる人や事例のことです。悪い面の見本とは、自分以外の誰か他人のことでしょう。そんな悪い面というのは、自分以外の誰か他人の中にあるだけでなく、実は、自分自身の中にも、人間とは誰もが内在されていると思うのです。
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置かれた状況によっては、自分にだって、
そのようになってしまうことがあること。
『反面教師』という言葉は、戒めているとも思うのです。捉え方を変えれば、『反面教師』とは、下記のことだとも言えると思います。
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「人の振り見て、我が振り直せ。」
「人の振り」とは、「自分以外の誰か他人」のことだと思います。「人の振り」を見て、自分自身の中に、確かにある悪い面を見つめて、直しなさいと教えているのです。
『反面教師』とは、自分自身の悪い面を映し出している姿とも言えると思うのです。その意味においては、『反面教師』という言葉は、実は、「内面教師」でもあると思うのです。
だから、私は、誰か他人に対して、『反面教師』という言葉を、おもわず口に出したり、何か考えてしまう時。自分自身とは違う、誰か他人の姿ではなく、自分自身の内にある悪い面を振り返り、自分自身の姿として、「内面教師」という捉え方をするように努力しています。
現実的な問題として、大変不幸なことでありますが、自分の周囲に、『反面教師』の様な人間がいれば、本人が、『自分は、あのような人間には、決してならない。』といくら思い込んでも、何らかの影響が受けてしまい、DNAに書き込まれて、自分も似てきてしまうものなのです。
誠に、恐ろしいことですが、人とは、親から受け継いだ血だけではなく、接している周囲の人の影響。否応なしに受けてしまうのです。だから、自分が接する人には、注意が必要なのです。
人間とは、誰もが、そんなに強くはありません。どんなに立派で強い人でも、弱い一面もあるものです。だから、時として、愚痴を言い合ってみたり、誰か他人を『反面教師』として、捉えてしまうこと。あるものだと思います。
しかし、『反面教師』という言葉の中には、実は、「内面教師」という側面もあること。気が付いていた方が良いと思うのです。
作成日:2016年2月8日 屋根裏の労務士