コラム Column

「自分の気持ちを処理する最後の方法」

前回のメルマガで、『反面教師』という言葉には、「内面教師」という意味があるということを取り上げました。

悪い面の見本として、『反面教師』という捉え方を自分以外の誰か他人にするのではなく、そんな悪い一面は、人間であれば、誰もが内在されており、置かれた状況によっては、自分にだって、そのようなことをする可能性があること。他人の悪い一面は、自分自身の姿を映した鏡でもあり、その意味では、「内面教師」という捉え方もできると説明をしました。

それに対して、いくつかご感想を頂きました。現実的な問題として、日常生活をしていく中で、理不尽な対応をされたり、騙されたり、裏切られたり、嫌な目に合わされること。誰しもあることで、『反面教師』という捉え方で気持ちを処理すること。時として、大切なことだとの意見を頂きました。

また、その中で、下記の様なご質問もありました。

  • 「嫌な思いや辛い思いをした場合、
    内面教師という考えを持っている佐々木先生は、
    自分の気持ちをどのように処理しているのですか?」

人間の心というのは、単純ではありません。他人である相手の心を分かる前に、人間は自分の心だって分からないときが多いものです。人間の心とは、ある意味、誰にも分からない、闇のようなものではないでしょうか。

そんな複雑な人間の感情。そして、そんな複雑な自分の気持ち。毎回、何か決まった方法で受け止めて、毎回、上手く気持ちを処理すること。出来ている人はいないと思いますし、私の様な凡人には、到底、出来ていません。

生きていると辛く嫌なこともたくさんあります。何か複雑な気持ちになること、人が生きていく中で、多いと思います。

人というのは、色々な心を持っています。綺麗な心、醜い心、強い心、弱い心。人には、様々な心があります。自分には、醜い心や卑しい心が無いと思っている人がいたら、よっぽど、ノー天気な人でしょう。人間の心とは、複雑であり、単純には出来ていないのです。

そんな複雑な心を持っている人間。基本的には、人は、様々な心を持っている人間に対して、相手の良い一面を好きになり、悪い一面も受け入れて、付き合っているのです。私は、縁があって知り合った人に対して、出来る限り、次のような感情は、頂きたくありません。

  • 憎しみや恨みの感情

憎しみや恨みのマイナスの感情。人間であれば誰もが、少なからず、持っている人間の煩悩でしょう。憎しみや恨みの感情でいるというのは、何より、自分自身が楽しくならないし、疲れるものです。

憎しみや恨みの感情の原因となっている相手。ほとんどの方が、こちらがどれほど辛い思いをしているかなど、考えてもいないし、何とも思っていないでしょう。

得てして、やられた方は、いつまでも忘れないし、忘れられないものです。一方、やった方は、何ら罪の意識も感じないで、とっくの昔に、忘れていることでしょう。

相手に対して、憎しみや恨みの感情を抱いていること。相手には、そんなマイナスの念の力の様なもの。全く、影響なんかしていません。恐らく、ほとんどが、涼しい顔をして、人を踏みつけて、自分は特別で良い人間だと思い込んで生きています。

いつも、相手を道具の様に利用して、相手を騙して、相手を裏切り、巧みに盗みのようなことをして、様々な搾取をしながら・・・。

誠に腹立たしですが、憎しみや恨みの感情というのは、自分の念で、相手を蝕んでいるのではなく、自分の念で、自分を蝕んでいる不健康な状態なのです。

憎しみや恨みの様な気持ちから、解放されるためのアドバイスについて。人間の生き方を説いたような物の本では、下記のようなこと。人が生きる道として、アドバイスされているのを度々、見かけます。

  • 相手を許し、自分を解放して、相手に対して
    慈しみと感謝の心を持つこと。

上記の様な理想的な正論を実践できる方。ガンジーやマザーテレサのような高尚な偉人だけでしょう。現実的な問題として、辛い思いで悩み、受けた心の傷で苦しんで、生きている方。世の中にはたくさんいるのです。たくさんいるというより、それが人間であれば、当たり前のことであり、ガンジーやマザーテレサの様な方が、奇跡のような方なのです。

私は、憎しみや恨みの感情は、マイナス感情だとは思います。しかし、人間が生きていく上で、その感情から逃げることなく、その感情と向かい合っていくこと。人間の宿命の様なものであり、また、時として、必要な感情だとも捉えています。

私は、嫌な思いや辛い思いをした場合、相手に対して、憎しみや恨みの感情ではなく、基本的には、下記の感情を持って、自分の気持ちを処理しています。

  • 「軽蔑」

誰か相手に対して、「軽蔑」という感情を持つこと。決して、良いことではないでしょう。しかし、憎しみや恨みの感情を抱いて生きているより、ずっと未来志向の健康的な心の持ち方だと思っています。

「軽蔑」とは、相手を自分より低く見ている感情です。その意味で、辛く嫌な思いをさせられた相手より高い次元に自分の精神状態を置くことが出来ているとも言えるのです。もっとも、置くことが出来ているというより、その『卑しさ』や『卑怯さ』から、少しでも距離をとりたいという気持ちでしょう。

  • 可愛そうな生い立ちや惨めな過去を持ち、
    いつも世間体を気にして、見栄ばかりを張って生きる
    優越感でしか生きがいを見いだせない、今を楽しむことが出来ない、
    いつも寂しい人間という憐みの感情を持って。

親密な人間関係で、相手に対して、「軽蔑」という感情を抱いてしまったら、その関係は、間もなく、破綻することになるでしょう。捉え方を変えれば、このマイナスの「軽蔑」という感情。下記の力もあるのです。

  • 相手とのこじれた関係を終わりにさせ、
    自分の気持ちに決着をつけるときの感情。

私は、嫌な思いや辛い思いさせられて、「軽蔑」という感情を抱いた方。心を通わせてまで交流したいとも思わないし、物理的に会わない状況であるならば、日常生活の中で、何か強い感情を伴って、思い出すこともありません。基本的には、もう、大人の対応しかとりません。

「軽蔑」という感情を抱いた方と接触していると、心を通わせているつもりはなく、大人の対応しかしていないつもりでいるのに、何か独特な『卑しさ』や『卑怯さ』が自分の中に入ってくるような気がするのです。何か、自分が汚れるような気持ちになるのです。

ある意味、相手を許して、感謝の気持ちも持っています。まず、「相手を許す」という感情になるためには、凡人の場合、感情を無くすという気持ちの状態になること。それが、凡人には必要なのです。ましてや、嫌いな人に対して、「感謝」という気持ちになること。時間の力とそんな辛い思いを乗り越えて、自分が成長をすることが出来た後に出てくる感情なのです。

「罪を憎んで人を憎まず。」という心の状態に至るには、凡人には、時間も必要であり、自分の成長も必要なのです。

  • この人間関係を終わりにさせる、「軽蔑」という感情。

「軽蔑」という感情が、良い悪いということではなく、「軽蔑」という感情の存在を知っていて、その感情を上手く、コントロールが出来ているか、どうかが問題なのです。

だから、「軽蔑」というマイナスの感情が起きてこない様に、日常の小さな一つ一つのことに対して、周囲の一人一人に対して、いつも、「感謝」の気持ちを持って生きていくこと。大切だと思うのです。

誰か自分以外の他人に対して、「軽蔑」という感情を持って、自分の気持ちを処理すること。最後の最後の心の処理の方法です。

人間には、美しい心もあれば、醜い心もある。置かれた状況によっては、自分だって、『反面教師』になるようなことをする可能性があります。誠に、人間の心とは、非常に難しいものであり、その人間の心に関わる労務の対応も、また、非常に難しいものです。

作成日:2016年2月15日 屋根裏の労務士

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