「精一杯の人生だから」
お盆の時期は、世の中の多くの企業が休みになります。一人になるので、仕事がとてもはかどるのです。それでも、お盆の時期なので、週末に郷里に帰省してきました。ワクワクしながら、郷里に、『行って』きました。
私の郷里は、群馬県です。東京から群馬まで、急行を使えば2時間程度で『行く』ことが出来ます。東京の通勤圏ではありませんが、毎日、東京まで通勤している人もいます。
他の地方の人に比べれば、東京から郷里まで距離。近いのは間違いありません。しかし、過去を振り返ってみると、東京に出てきてから郷里に帰る頻度。年に1回、2回程度です。
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いつも自分の人生だけで精一杯で。
いつも今日生き切り、明日を生きていくだけで精一杯で。
いつも前を見て、未来を生きていくことだけで精一杯で。
生活の基盤ではない郷里のことに、意識が回っていなかったのです。昔を懐かしみ、大切な思い出をゆっくり振り返る余裕もなかったのです。自分の身内や郷里の友達。気が付くと、いつも一番後回しになっていたのです。
慌ただしい日常の中で、郷里に帰る頻度。恐らく、東京から遠方の地方出身の人とあまり変わらないと思います。若しかしたら、私の方が少ないかもしれません。いつでも郷里に帰ることが出来ると思っていると、いつまでも郷里に帰らないものなのかもしれません。
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あまり郷里に帰っていなかった自分
気が付けば、私は、東京の人間になっていました。何の迷いもなく、身も心も、完全に東京に捧げて生きています。身も心も東京にあるから、東京で生きていけるのだとも捉えています。生きるということは、そういうことのような気がしています。
身も心も、東京に捧げて生きている自分。それでも、これまで、私は救われていたのだと思います。変化と競争が激しい大都市・東京で生きていく中で。
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いつでも郷里に『行ける』安心感に・・・
意識はしていなくても、東京からの物理的な距離の近さ。無意識的に、精神的な安心感に繋がっていたのだと、最近は少しだけ理解が出来るようになりました。そして、普段、会っていなくても、郷里の友達に、これまで、支えられていたのだということも・・・
地方出身者の人は、東京で、定期的に、同じ郷里の出身者が集まることが組織化されていることも多いようです。東京で定期的に、同郷の者同士が集まるのです。故郷に帰らずして、東京で故郷の気分を味わうのです。
しかし、東京に距離的にも時間的にも近い群馬県。同郷の者同士が大勢で、東京で集まること。組織的に行われているということ。今まで、一度も聞いたことがありません。いつでも郷里の友達と再会出来ると思っていると、いつまでも郷里の友達と再会しないものなのかもしれません。
最近は帰省に伴いプチ同級会を企画開催して、郷里の友達と再会をして、弾けるような楽しい時間を過ごすことが出来ています。今回も郷里の友人7人で再会することが出来ました。
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旧友で集まるということ
自分だけが、何となく大勢の旧友で集まりたいと思っているだけでは、何も始まりません。まずは、誰かが、呼びかけをする必要があります。しかし、誰かが呼びかけをするだけでは、みんなで再会することは出来ません。旧友で集まるためには、次のことが必要になるのです。
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友達も会いたいという気持ちになること
誰かが呼びかけをして、その時に、友達同士が会いたいという気持ちになり、日程と場所の調整が出来たときに、大勢の旧友で再会することが出来るのです。当たり前ですが、「お互いに会いたいという気持ち」にならなければ、いくら日程を調整しようとしても、再会することは出来ません。
誰もが、いつも何かに追い込まれて生きています。再会をするためには、忙しい毎日の中で、各人のスケジュールの優先度を上げて頂く必要があるのです。
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時間を持て余し、暇だから、集まってくれた人
学生ではないのですから、誰一人としていないと思います。今回も、私が郷里に帰るタイミングに合わせて、みんなに多忙なスケジュール調整をお願いして、宴の出席に向けて、各人の優先度を上げて頂き、大勢の旧友に集まって頂けました。
みんな、自分の日常を必死に生きていくことだけで、正直、精一杯だと思うのです。私自身がいつも自分の人生で精一杯だから。みんなの人生の精一杯も察することが出来るのです。何より、みんなも自分の人生で精一杯だから。お互いに、それぞれが抱える精一杯を理解しているのです。
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そんな精一杯のギリギリの毎日の中で、
優先度を上げて、何とか駆けつけてくれていること。
それだけで、感謝の気持ちでいっぱいです。それだけで、嬉しくなります。再会できると、そんな感謝の気持ちや嬉しさ。お互いから、伝わってくるのです。
しかも、今回、宴を盛り上げるために、サプライズのゲストを連れてきてくれたり、各種手配や手間な調整も、あれこれ協力してくれました。郷里での旧友の集まり。郷里での協力や熱意がなくては、実現することは出来ません。
毎日の日常的な人間関係に影響が出てくるような集まり。何か強制感が伴うような集まりで、参加者の休日が同じであれば、比較的に幹事の調整はスムーズです。
しかし、普段付き合いがない者同士の集まり。完全な自由意思によるような集まりで、参加者の休日が異なれば、幹事は、参加者の調整をつけるために、色々と知恵を絞る必要が出てきます。プチ同級会の宴を開催するだけでも、幹事の孤軍奮闘だけでは、楽しい宴を開催することは出来ません。
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一人の力だけではできないこと。
みんなの協力や心意気が必要なこと。
そんな人生の基本的なことも、プチ同級会の宴を企画開催するだけでも、毎回、改めて、気が付きます。
宴の企画をして、呼びかけをするところまでは出来ても、郷里の友達一人一人にスケジュールを調整して頂き、みんながワクワクしながら、人生の楽しみの一つに思って、集まって頂けなければ、弾けるような楽しい宴にはなりません。
そもそも一人では同級会は出来ません。自分以外の誰かに、一定数集まって頂く必要があるのですから。みんなの協力、みんなの心意気が必要になるのです。
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一人の力や自分の想いだけではできないことがあること
そんな人生の基本中の基本のこと。プチ同級会の宴を企画開催するだけでも、理解を深めることができるものです。何か、強制感や義務感がともなう集まり。そんな集まりでは、人を集めることは出来ても、ワクワクした楽しい時間にはならないのです。
今回の宴は、一次会だけでお開きになりました。19:30から始まり、閉店する深夜の1:30までの6時間。「ワッハッハー、ワッハッハー」と、みんなで、腹を抱えて笑う瞬間の連続の中で、瞬く間に過ぎ去りました。
店の外に出ても、しばらく、外で話を続けていました。みんな、別れを惜しみながら。翌日は、仕事が入っている人も多かったのにも関わらず・・・。
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みんな、自分の人生で精一杯だから。
参加できない人のことも理解が出来るのです。 - □
みんな、自分の人生で精一杯だから。
何とか調整をつけて集まってくれた人に対して、
お互いに溢れるような感謝の気持ちでいっぱいになるのです。
旧友との別れを惜しみながらも、実は、私はワクワクしながら、東京に帰ってきました。翌日に、コンサルティングの打ち合わせがあったからです。実は、私の心持や意識は、もうかなり前から、『行く』のは郷里で、「帰る」のは東京なのです。身も心も、完全に東京がホームなのです。
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『行く』のも「帰る」のも、ワクワク感いっぱいで、楽しみなのです。
また、精一杯の日常を生きていけること。皆様の労務のご相談やコンサルティングをさせて頂けること。いつも、ワクワクしています。
みんなで笑いながら拡げた、郷里の大切な思い出を。
また、心の奥の引き出しに、そっとしまい込みながら。
作成日:2016年8月22日 屋根裏の労務士