『見えない鎧』
友達は癌を患って、1年半以上の闘病生活を続けていたそうです。癌の進行は早く、体中に癌が転移してしまい臓器が蝕まれてしまったそうです。容体が日に日に悪化していったそうです。
2年半ぐらい前に、久しぶりに彼のことを思い出しました。何だか急に会いたくなり、私の方から、何のきっかけもなく、突然、彼の携帯電話に連絡を入れました。2年半前に5年ぶりぐらいに、二人だけで再会。今となり振り返れば、それが最後となりました。
最後に会っておいて本当に良かったです。今回、次のことがよく分かりました。
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死に目で友達とは会うことが出来ないということ
2年半ぐらい前に、久しぶりに彼に会いたい旨の電話をしたとき。彼から次のように言われたこと。今でもはっきりと覚えています。
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『5年前に会ったじゃん・・・』
友達は、旧友と5年に一度ぐらいのペースで会っていること。友達の中で会っている方だと話していました。『5年前に会ったじゃん・・・』というコメント。『会いたくない』というのと同義だと察しました。
彼は、旧友と会いたい気持ちになれない様子でした。それでも、電話で話が盛り上がり、他の友達は誘わずに、二人だけで食事をすることになったのです。しかし、久しぶりにあったにも関わらず、楽しい話題とはなりませんでした。
彼は、『重たい何か』を背負っているような雰囲気で、次のことをしきりに話していました。
肉体的には、連日連夜の長時間労働。
精神的には、会社はリストラに次ぐリストラ。
毎月の厳しいノルマに厳しい納期。
それなのに、たいした昇給もない。
会社では、自分たちの上に、バブル世代のお偉い先輩たちが、
管理職登用の順番待ちで、まだまだ大量にいる状態。
ドロドロした人間関係の中でろくでもない出世競争。
自分を取り巻く、複雑に入り組んだ様々な人間関係。
岩盤のようにある様々なしがらみ。
夢のマイホームも共稼ぎで必死に住宅ローンの返済。
まだまだ続く住宅ローンの返済。
住宅ローンによって人生を支配されて、
まるで手足を縛りつけにされている状態。
毎日満員電車に揺られて通勤。
帰って寝るだけの我が家。
育児が済んだと思ったら、今度は子供の受験。
父親が高齢で病気を患い入退院の繰り返し。
更に、母親は義理の親を介護して老々介護の状態。
プラス思考で動き出そうとしても、
どうにも身動きがとれない現実。
閉塞感の中で時間だけが過ぎていく毎日。
何より、漠然と襲ってくる自分達の老後不安。
妻の協力や理解に、日々、感謝をしていると話していました。自分には出来すぎた嫁であり、そんな嫁の存在も、男として申し訳なさそうになっている様子でした。最低限、家族に心配だけはかけさせたくないので、誰にも相談できない状況の中。不安な心持に襲われながら、毎日を過ごしているそうです。
「男って、辛いな」と思いながらも、多分、女性の方も女性にしかわからない辛さ。そんな辛さを抱えて生きているものだと感じています。それに、上記は誰もが程度の差こそあれ、日々人生の重しとなり不安になっている悩み事の一つだと思います。不安な気持ちにならない人はいません。
喜びや嬉しさは共有することは出来ても、苦しみ、痛み、悩みは簡単には共有することが出来ないのだと、日々、感じています。特に大切な人であればあるほど、自分の苦しみ、痛み、悩みは、共有させたくないし共有できないものです。大切な人に心配かけさせたくはありませんから。
彼の下記の発言が何とも印象的に私の心に残っています。
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「長男、父親、会社の役職を含めて」
「すべての鎧を脱いで真っ裸になりたい」
彼の発言の中に、次の言葉がありました。
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『鎧』
5年ぶりに彼の姿を見たとき、私の方も、彼が『見えない鎧』を着ているように見えたのです。現状の厳しさと将来不安の中で、身動きが出来ない程の『重たい何か』を身にまとっているように思えたのです。
また、『鎧』は身動きが取りにくい『重たいもの』であるだけでなく、その『重たさ』は自分を守るための「頑丈な装備」でもあります。
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「頑丈な何か」に守られるということは、
『重たい何か』を背負うことだということ
直観的に理解が出来た様な気がしました。やはり、生きるということは大変なことです。誰もが簡単には生きていません。現実は、「楽しく生きる手ぶら人生」とは、いかないようです。誰もが、何らかの『見えない鎧』を身にまとって生きているのだと思います。
失われた20年に加えてリーマンショック。最近は景気が良いと言われながらも、将来不安が大きいので、家計は貯蓄に回してしまって消費は鈍化している状態です。消費税の増税と人手不足で人件費が上がったため、悪い意味で物価が上がった一面もありますが、消費者の財布のひもは固く、デフレ基調が続いています。
少子高齢化で高齢者が増えて若年者が減っていくこと。市場が縮小していくことが分かっているのですから、現行の年金制度の給付水準が維持されていくなんて、政府や官僚も考えてないし、国民も思っていないでしょう。
世の中ではワークライフバランスが取り上げられることが多くなりました。過労死の防止や長時間労働の削減に関して、働き方改革を含めて、議論が活発になっています。労務の相談でも、うつ病に関する相談が増えています。最近、労務の相談をしていて、長時間労働について感じることがあります。「古き良き時代にあった連日連夜の長時間労働」についてです。
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高度経済成長期のような慢性的な長時間労働は、
将来不安が余り無く、心労が少ない社会の情勢下のときに
出来たことだという事実
人間は、未来に対して、明確な展望があり、将来不安があまり無い安定した状況下であれば、長時間労働の拘束や様々な厳しい環境下であっても、精神は壊れずに我慢することが出来るのでしょう。しかし、未来に対して、明確な展望がなく、将来不安がある不安定な状況下であれば、長時間労働の拘束や様々な厳しい環境下では、健康な精神状態を保つことは難しいということです。
少子高齢化で、国は現状水準の年金などは保障できません。市場が縮小しているのですから、企業は、かつての様な終身雇用で高額な年功序列賃金も保障できません。未来に対して、明るい展望がない以上。慢性的な長時間労働を解消して、様々な不安に寄り添いながら。不安を共有して、不安を軽くする労務の必要性を痛感しています。
友達は生前に医師から死の告知を受けていました。
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「もう、いつ死んでもおかしくない」
私に連絡があったときは、告知を受けた後でした。彼は、告知を受けても、気持ちが穏やかだったそうです。もう、家族は涙も枯れ果てたそうです。闘病の辛さから、自分も家族も解放されることになり、自分の気持ちにも整理が出来たと話していました。そして、私に下記の言葉を告げました。
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「今まで、友達でいてくれて、ありがとう」
「これまで、イロイロと、ありがとう」
私は、すぐにでも会いに行くと伝えました。しかし、本人はもう今の自分の姿。友達には見せたくないし、見られたくないと弱々しい声で話していました。抗がん剤の影響で、髪の毛は抜け落ちてしまい、元気だった頃の姿とは見る影もないくらいに痛々しい姿になってしまったそうです。自分で自分の姿を、鏡で見ることが出来ないと言っていました。
そんな状態の中でも、今は、家族に対して感謝の気持ちでいっぱいになっているそうです。残された最後の時間は、家族とそして一人で、静かに過ごしたいと話していました。今回、次のことがよく分かりました。
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死に目で他人である友達とは会うことが出来ないということ
人生の終わりが近づいてきたら、家族だけではなく自分を取り巻く周囲の方々に、感謝の気持ちが沸いてきたそうです。色々あったが振り返ってみれば、嬉しいことがたくさんあり、楽しい人生だったと話していました。
彼の姿は見ていませんが、少なくとも人生の最後の最後では、『見えない鎧』を脱ぐことが出来ていたような気がしました。
作成日:2017年9月11日 屋根裏の労務士