「鹿児島の旅」・・・前編
例年、7月の3連休は北海道に行っていました。夏の北海道は、北海道にはジメジメとした梅雨の季節がありません。気温が高くでも湿度があまりないので、カラッとしていて何とも気持ちが良いのです。しかし、今年は異常気象の様で、北海道にも梅雨があり、7月の3連休は天気がくずれていた様です。
実は、今年の7月の3連休は、だいぶ前から、北海道ではなく、鹿児島に旅をすることを決めていたのです。その理由は下記です。
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2018年は明治維新から150年を迎える節目の年
NHKの大河ドラマの「西郷どん」は見ていませんが、私は、日本史の中では、幕末から明治維新にかけての歴史が好きなのです。あの時代の歴史を読み返す度に、何かワクワクして、先人たちに感謝と尊敬の気持ちが沸いてくるのです。
加えて、今回、私が鹿児島の旅をしたのは、下記のこともあります。
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ONE PIECEが21年目にして、
ついに、「ワノ国編」に突入したこと
尾田先生は、世界史に加えて、幕末の日本史も大好きです。「ワノ国編」は、幕末の日本がモデルになっているとネットで噂されています。
尾田先生の「ワノ国編」を描きたいワクワク感。これまでの各種の伏線からも伝わってきます。「ワノ国編」では、幕末から明治維新に輩出した歴史上の偉人。キャラクターとなって登場してくることが予想されます。
幕末から明治維新の世界の動きには下記があります。
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アジアに迫りくる欧米列強の脅威
清がアヘン戦争で負けて、不平等条約の南京条約を結ばされます。多額の賠償金の支払と香港の割譲。日本にも迫りくる欧米列強の脅威。そして、日本もアメリカと不平等条約を結ばされます。
幕府は自分たちの既得権確保の権力維持のために、事実上、属国路線を選んだような状態だったのです。当時の欧米列強のやり方は、下記のような巧みな交渉です。
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最初に『友好』の名の下に、
軍事力では到底かなわないアジアの国々に
不平等条約を求めてくる。 - □
これを断ると『友好』を拒んだとして、
自分達が負けるはずがない戦争を仕掛けてくる。
負ければ、多額の賠償金の支払や更なる酷い不平等条約。 - □
不平等条約を結んで、それをあしかがりにして
あれこれ干渉して植民地にしてくる。
上記のやり方は、帝国時代の当時だけでなく、今でもその本質は変わっていないと思います。アングロサクソンは、非常に交渉が上手いのです。長期のスパンで戦略を練って、巧みに色々と仕掛けてきます。
当時、次の時代を担う日本の若いリーダー達が欧米列強への危機感と幕府に対して怒りをもち、次々と歴史上の豪傑達が立ち上がります。
旧態依然とした古い考えの幕府を倒して、近代日本の礎をつくったのです。明治維新の偉人は、山口と鹿児島から多くの人が輩出されています。
ゴールデンウィークは山口県を訪れ、山口の偉人について学び、夏の3連休は、鹿児島を訪れ、鹿児島の偉人を学んできたのです。薩摩維新の豪傑の代表といえば、自ずと知れたあの男です。
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西郷隆盛
波乱万丈の人生を送り、類まれなる政治力で明治維新を成し遂げた薩摩の豪傑。実は、今回の旅で私の興味があったのは西郷隆盛でも、大久保利通でもありません。西郷隆盛や大久保利通の才能を見出して、二人を育てあげたあの男です。
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島津斉彬
島津斉彬は、若いときから博識で先見性があり、民と国のことを第一に考えて、いつも明るく周囲を和ませて献身的に社会のために尽力した藩主であり指導者です。
しかし、斉彬のような鬼才で人格者の藩主も若い時代には、その鬼才ゆえにベテラン保守勢から、妬まれ、恐れられて、様々な妨害や嫌がさせを受けて、藩主の座には就けない状態でした。
西郷隆盛が最も尊敬した人物であり、私の好きな歴史上の人物の一人です。島津斉彬も、日本に迫りくる欧米列強の脅威に強い危機感を持っていたのです。洋式軍艦の建造や反射炉、溶鉱炉の設置、ガラスやガス灯など他藩に先駆けて、欧米の先進技術を取得していきます。
まずは、自分たち薩摩が近代日本のモデルとなり、日本が目指すべき道となることを考えたのです。
明治維新という大業は、斉彬の先見性や思想、哲学、何よりその人柄が、愛弟子でもある西郷隆盛にDNAの如く受け継がれ、実現されたとも捉えることが出来ます。
明治維新のような大業は、一人の力だけで達成するものではなく、周囲の力が奇跡のように合わさり、何より下記により達成できるのだと理解を深めました。
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先人たちの意思や思想を引き継ぐということ
大業だけではなく、小さな成功というのも自分の力だけで成し遂げられているのではありません。いつも誰か周囲の力があり、その奇跡のように噛み合わさった力によって成し遂げられていること。そんなことを改めて感じた鹿児島の旅となりました。
作成日:2018年7月23日 屋根裏の労務士