「繋がれるときに、繋がれる関係」
両親の人生相談に私が判断してアドバイスをすることはありますが、両親の方もそれ以上に立ち入ったことは、私に求めていないと思っています。
私の郷里は群馬県です。東京からそれほど遠い距離ではありません。郷里に行こうと思えば、簡単に行くことが出来ます。時間が出来たら、出来る限り実家に顔を出して、親孝行をしたい気持ちはあるのですが、実際は、年に1回、せいぜい2回ぐらいしか帰省していません。
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時間というのは足りないことはあっても、
時間が余るということは無いということです。
どうしても、自分のことは後回しになりがちなのです。そのため、親しい関係になればなるほど、自分の置かれた状況や立場を理解してもらえると、勝手に甘い幻想を抱いてしまいがちになるのです。
実際は家族といってもお互いは独立した別の人格です。お互いが尊重しながら、その関係を大切にして築いていかなければ、良い関係というのは継続できないと思っていた方が良いと考えています。
最近はお盆に私が帰省する様になり、両親も、私の帰省が人生の楽しみの一つになっているようです。
例年、7月から8月はクライアントの方々も夏休みに入ります。そのため、夏の季節はゆったりとした時間感覚になります。しかし、今年は、「働き方改革関連法案」が成立したこともあり、8月になっても、繁忙状態がおさまりません。
今年は、帰省を見合わせることも考えていました。7月に郷里の友達から下記の連絡を頂きました。
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「お盆に帰って来るの?」
「帰って来たら、宴をするの?」
年末・年始にも、宴の開催の有無に関して数名の旧友から連絡を頂きました。例年、年末は忙殺の繁忙状態です。郷里の仲間の集まりを企画して、段取りしている時間や余裕もありません。年末・年始に連絡を頂いた友達には、お盆は郷里に帰り、宴を企画する約束をしていたのです。
私は、友達が多い方ではありません。しかし、一度、知り合って友達になると深い付き合いになり、長い付き合いになることが多いのです。郷里の仲間とは、かれこれ40年以上の付き合いになります。
郷里の仲間には、私の兄弟分と相方がいます。実は、兄弟分と相方の二人にも、20歳を過ぎたぐらいからは、年に1回程度しか会っていません。お互いに、近況についてよほどのことが起きない限り、電話で話したりすることもありません。
お互いに、それぞれが自分の人生を、精一杯、生きているのだから、当然のことだと思っています。お互いに、新しい出逢いがあるし、新しい世界があり、新しい活躍のステージが待っているのです。
それぞれが新しい自分になって、新しい人間関係に身を置き、新しい仲間が出来るのです。当たり前ですが、お互いに進んでいく道は違うのです。お互いに別々でありバラバラなのです。
寂しい気持ちもあります。しかし、生きていくためには、お互いに「成長して変わっていく道」しかないのです。変わらなければ、生き抜いていくことが出来ないのです。
いつまでも、『同じ距離感で留まっていること』は出来ないのです。逆に、いつまでも、『変わらない同じ距離感』であるならば、それはそれでお互いに『成長が出来ていない』ということです。
結構、いますよね。過去の栄光や思い出にすがって生きている『いつまでも変わらない人』です。そして、下記のような迷惑な人。
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学生の頃やバブルの頃が人生のピークの人で、昔の優越気分で接してくる人
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自分が上司や先輩だったという関係や立場で、何か威張って接してくる人
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自分が年長者なので、勝手に若者を下の者だという意識で接触してくる人
上記の方々に共通しているのは下記です。
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いつまでも、『同じ距離感で留まっていたい』と思っているので、
『実力的にも精神的にも成長が出来ていない』ということ
変わることが出来ていないので、当然、現在の自分は冴えていません。そのため、『過去に執着』したり、いつまでも、そしていつも『後悔の気持』のガッカリモードでいる人です。
疲れたおっさんの見た目で幼い精神性。実力もないのに、プライドばかり高く、見栄ばかり張り、いつも人生に疲れた不幸そうなオーラをまとったおっさんです。
若いときに優秀だったらしいこと。バブルの頃に華々しい実績をつくったこと。若いときに苦労したこと。正直、今の激動・激変の時代に、誰も相手にしてくれません。相手にしないといより、嫌がられるのが関の山です。
もう、バブルはとっくの昔に終わったのです。もうすぐ平成が終わるのです。社会は日々動いていて、置かれている状況や境遇も日々変わっていることをきちんと受け容れることが出来ない人です。
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取り残され、失って、忘れられた人
いつまでもあの頃を生きていて、取り残された人です。ワクワクする能力を失った人です。みんなで腹を抱えて笑うことを忘れてしまった人です。
自分は変われないし、変わりたくないのです。自分の問題です。他人が入れないところでもあります。周囲に迷惑をかけていないのですから、良い人でもあります。
酷いケースになると他人の成長や成功を妬み僻んで、足を引っ張るような『さげまん』までいます。現在の自分が冴えないので、『過去の栄光という自分の殻』にこもり、よそよそしい態度をとる『さげまん』タイプの人もいます。
『さげまん』になると、その周りには『さげまん』しか寄り付かなくなるのです。
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前を見て、現在と未来をワクワクしながら、生きていくことが出来ないのです。
幸せな人というのは、周囲をワクワク感のある笑顔にさせることができる人です。また、逢いたいと思われる人です。
幸せな人というのは、『後悔の気持』というのは、心の奥の引き出しにカギをかけてしまっており、いつまでも『過去に執着』していません。忘れることが出来ているのではなく、思い出していないのです。周囲に不幸感やガッカリ感を出さない人というのが、誰から愛される人であり、幸せな人です。
『後悔の気持』が起きなかったり、『過去に執着』しない人なんていません。そういう気持ちを周囲に出さないのが、大人の成長をした人なのです。
それに現在が充実していて幸せであれば、過去の嫌なことや嫌な人のことなんて、小さなことや小さな人に思えるし、そもそもどうでもよくなります。もう二度と会うこともないわけですから。
私は、陰口や悪口の類は言いません。陰口や悪口をいうことにより、その対象者を思い出すのが嫌だからです。思い返して、不快になる時間がもったいないのです。
他人を不幸にする人なんて勝手に転んで、聞いている方が恥ずかしくなるような噂話が他人から漏れ伝わってくる程度です。正直、早く、自分の幸せをみつけて、余生を他人に迷惑をかけることなく、幸せに生きて頂きたいです。
私の友達は、いつもワクワク感のあるオーラがある連中ばかりです。みんな人生、イロイロあり大変ですが、『過去に執着』したり、『後悔の気持』なんて出したりしません。現在の自分を堂々と生きている強い奴らです。自分の進むべき道を受け容れて、楽しく生きている強い奴らです。何より、自分の自慢めいたことなんて、何一つ話しません。
結構、いるのです。『以前と比べて随分と変わってしまった』と思う人。しかし、変わったのは年齢とその見た目、体力面だけであって、実は精神性や意識は対して昔と変わっていないのです。つまり、成長していないということです。
そして、結構、いるのです。自慢話をしたり、誰か相手を貶める話をしてからでないと、まともに話一つ出来ない人。『以前と比べて随分と変わってしまった』と思う人に久しぶりあったときに気が付くことがあります。実は、「変わったのは自分だった」と気が付く瞬間です。そして、その人との関係が終わりになる瞬間です。
人生イロイロです。それぞれに幸せの価値観は異なるのです。それぞれに進んでいく自分の道があります。進んでいく道はそれぞれが違うのです。だから、離れていく方が自然だとも思っています。それに友達との関係は、下記の関係です。
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逢っていなくても、離れていくだけであり、切れていく関係ではない
当たり前ですが、友達というのは、「他人」のことです。つまり、自分ではないし、自分のことではないということです。何か困難に直面したときに、私が具体的に助けることは出来ないし、助けてもらえるとも思っていません。
昔から、私は、自立心が強いところがあります。日常的に友達の家に泊ったり、イロイロと連んでいましたが、ベタベタした人間関係というのを求めていません。
兄弟分と相方も、イロイロと強い奴らです。協力をすることはあっても、依存してくることはありません。それに、どちらかが依存してきたら、友達関係が終わりになるとも思っています。
友達や親友を定義するというのは難しいことです。それでも、深い付き合いになり、長い付き合いの友人関係を形成していくためには、下記の当たり前をお互いに理解していることが大切です。
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「繋がれるときに、繋がれる関係」
『繋がりたいときに、繋がれる関係』ではないということです。ましてや、『困ったときに助け合う関係』が友情関係などではありません。そんなマンガや映画の様な妄想があると、本気で信じているから、人間関係で苦しんだり、人間関係で傷ついて、人間関係が壊れていくのです。
『繋がりたいときに、繋がれる関係』や『困ったときに助け合う関係』というのは、「家族との関係」であり、何より、「ビジネスの関係」なのです。大人であれば、誰でも分かっていることです。
当然、友達との関係で、金の貸し借りや売り込み、勧誘などがあるはずもありません。友達の関係に「ビジネスの関係」を持ち込むのは、実力的にも精神的にも、未熟で幼いときです。大人になれば、「人との繋がり」に関して、イロイロと分別が出来るようになるのです。
友達の関係というのは、意外と微妙な関係なのです。不仲だから会いたくない人もいます。一方で、仲が良いから会いたくないときもあるし、親しい関係だったから会いたくない人もいるのです。人生は複雑で難しいことが多いのです。会えるときもあれば、会えないときもあるということです。関係が良好だから、会っていないことも多いと思います。
友達との関係には、下記があるのも事実です。
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「人間関係の時間の重石」
恋愛関係であれば、一目ぼれで、その日のうちに深い恋に落ちるというのはあり得ることです。会っていなければ、関係が切れて終わりになるのも事実です。一方、親友の関係であれば、昨日知り合って、少し意気投合して、仲が良くなった程度で、親友にはなれないのです。昨日知り合った人に親友はいません。
友達との関係を築いていくためには、信頼をベースにした「時間の重石」というのがあるのです。だから、無理して会う必要はないというのが私の持論です。
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気が付いたら、長く付き合っていて自分の中に自然といた大切な存在
それが大人の友達なのです。そして、そんな大切な友達との関係は、下記の様な関係だと認識しています。
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「繋がれるときに、繋がれる関係」
大切な関係ではありますが、希薄な関係なのです。そのため、旧友が同じ日に同じ場所で、何ら強制感や義務感もなく自由意思の下に、一堂に集まるというのは、意外と難しいことです。
今回、5年連続で5回目のプチ同級会の宴を開催。郷里の友達9人で集まることが出来て、今回もワクワク感のある楽しい時間を過ごすことが出来ました。
「ワッハッハ、ワッハッハ」
みんなで、腹を抱えて笑う瞬間の連続。
まだまだ、噴出していない「笑いのマグマ」がありました。
今回も、当日の宴の開催はもちろん、宴の開催に向けた旧友集めの準備や段取りの「横の関係」のマネジメントについても楽しく対応することが出来ました。「笑いの大波」が起こり、みんなで「笑いの波乗り」をすることが出来ました。
友達との関係は下記の関係だと思っています。
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「繋がれるときに、繋がれる関係」
そんな希薄な関係だとは頭では分かっているのですが、私の帰省を楽しみにして、ワクワクモードで、宴に集まってくれる心意気に、「何か厚いもの」が伝わってくるのです。
作成日:2018年8月20日 屋根裏の労務士