「ホンモノの力」
ミケランジェロの作品は、彫刻やフレスコ画が中心です。持ち出しが、物理的に不可能なため、展覧会を開催することは、世界でも滅多にありません。ミケランジェロの作品は、滅多に日本に来ないために、ホンモノの作品を見るためには、イタリアに行くしかありません。
今回の展示会では下記の2つの彫刻が日本に来てくれました。
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ダヴィデ=アポロ
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若き洗礼者ヨハネ
今回、2時間くらいの行列を覚悟してワクワクしながら展示会に足を運びました。意外だったのですが、展覧会は下記のような状況なのです。
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行列ができるどころか、閑散としている
静かにゆったりと鑑賞が出来たのです。そのため、ミケランジェロの大ファンの小生は3回も展示会に足を運んだのです。
どうやら、日本人は、ミケランジェロよりレオナルド・ダ・ヴィンチの方が好きのようです。映画のダ・ヴィンチ・コードの影響もあるのかもしれません。レオナルド・ダ・ヴィンチの展覧会だと、平日でも2時間以上待ちになるのが当たり前なのです。恐らく、日本人はレオナルド・ダ・ヴィンチの下記に惹かれるのだと思います。
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謎めいた神秘的なところ
ルネサンスの3大巨匠と言えば、言わずと知れた下記の3人。
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ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ
三者三様に畏怖の念を抱くのは当たり前なのですが、私は、個人的には、ミケランジェロが一番好きです。人類史上、最も偉大な芸術家だと感じたのです。もっとも3人は芸術家というより、宗教家といった方が適切だと思っています。あれは、芸術という次元ではありません。宗教の次元になっているのです。
これまで、たくさんの芸術作品に触れてきましたが、心が揺さぶられるような衝撃に襲われたのは、ミケランジェロの下記の2つの作品の前に立ったときです。
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「最後の審判」のフレスコ画
「ダヴィデ」の彫刻
心の奥底から、何か閃きを得たときの様な感覚。雷光に打たれたような感覚。知らなければいけない大切なことを教えて頂いたような感覚があったのです。2つの作品の前に立ったとき、私は、圧倒的な迫力で、何かが分かったとのです。
ミケランジェロは、彫刻、絵画、建築のすべての分野で名をなし、「神のごとき」と称された男です。そして、自らを語る時、ミケランジェロはあくまで「彫刻家」という肩書にこだわりました。システィーナ礼拝堂の天井画と祭壇画の「アダムの創造」と「最後の審判」ですら、自分の本業ではないので、時間の浪費と考えていたのです。
ミケランジェロとダ・ヴィンチは、美へのこだわりや考え方が水と油のように違っており、不仲であったことは有名です。また、ミケランジェロはラファエロとも、生き方や美への追及の方法や思想が水と油のように違っていました。
求道的なミケランジェロは、弟子らしい弟子も持たず。いつも孤独に作品と向き合っていたのです。巨大作品には、通常、助手をうまく使って、仕上げるのが常套手段です。ラファイロは、助手を上手く使って、障壁画を描いています。
しかし、ミケランジェロは細部に対しても、作品に強いこだわりを持っていました。ミケランジェロも当初、助手を使いましたが、すぐに辞めさせてしまいます。たった一人で助手も使わず、巨大障壁を細部にいたるまで、こだわりを持って、作品を完成させるのです。
頑固で偏屈な性格で、肖像画にもその性格が窺えます。注文主との確執もしばしばあり、システィーナ礼拝堂天井画の完成予定をローマ教皇に聞かれたときも、「天井画が仕上がるのは、私の作業が終わるときです」と平然と言ってのけたのです。
一方、ラファエロは美男子で社交付き。誰からも愛される性格だったようです。若くして大勢の弟子を引き連れており、しかも弟子の育て方が上手だったのです。注文主の要求にも柔軟に応えて折り合いをつけて作品を完成させるのです。
仕事というのは趣味ではないので、下記が大切です。
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納期を守り、作品を完成させること
どんなにすばらしいものを追求していたとしても、依頼者がいる以上、完成しないものは、趣味の域に過ぎないのです。作品を完成させなくても評価が高いのは、レオナルド・ダ・ヴィンチのような天才だけです。
それに、レオナルド・ダ・ヴィンチの様な天才であっても、作品を完成させないために、ローマ教皇から信頼を勝ち得る様な大切な仕事は任されなかったのです。レオナルド・ダ・ヴィンチの神秘性は、異次元の天才というだけではないはずです。未完成の作品が多いということもあると思います。
今回、日本にやってきた「ダヴィデ=アポロ」は、ミケランジェロの未完成の作品です。「ダヴィデ=アポロ」という作品名は、ふたつの人名が併記されたタイトルです。この作品はモデルが聖書に登場する英雄のダヴィデとも、ギリシャ神話に出てくる神アポロとも言われており、作品の主題が分かっていないのです。
主題がいまひとつはっきりしないのは、右肩越しに上げられた左手先の背中に彫られた飛び道具が未完成のままで彫られていないためです。
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投石器であればダヴィデ
矢筒であればアポロ
肝腎のこの部分が荒削りなため、判別がつかないのです。飛び道具の正体は、ミケランジェロによって大理石の内に謎として残されたままなのです。更に、彫刻の物憂げな表情。ダヴィデの勇ましさのイメージにも、太陽神アポロの厳かさのイメージにも合致しないのです。
個人的には、アカデミア美術館の「ダヴィデ」を見て、その迫力を体感しているので、「ダヴィデ=アポロ」は、ダヴィデではなくアポロの様な気がしています。
フィレンツェには、3体のダヴィデ像があります。ホンモノは大切にアカデミア美術館に収蔵されているのです。もともとダヴィデ像が置かれていた市庁舎前や広場にはダヴィデ像のレプリカが置かれているのです。
仮に、3体が同じ場所にあったとしても。仮に、ホンモノのダヴィデ像を写真で見ていなくても。どれがミケランジェロによって彫られたホンモノなのかは、誰でもその場に立てば、簡単に判別ができるはずです。
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ホンモノのオリジナルは、レプリカとは
全く、迫ってくる力が違うからです。
ホンモノは、石像が今にも動き出すような迫力があり、まるで魂が宿っているかのような迫力があるのです。
世の中に、レプリカはたくさんありますが、意外とホンモノは少ないような気がしています。だから、ホンモノに巡り合えたときは、感動や驚きがあります。何より、ホンモノは人々に、ヒントや閃きを与えて、何か大切なことを教えているような気がするのです。
作成日:2018年9月3日 屋根裏の労務士