「横の関係のマネジメント」
旧友の小さな宴の集まりを開催するだけでも、実は、幹事の仕事には様々な知恵や工夫があります。何より「配慮」と「決定」という名の下記のマネジメントがあるのです。
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『縦の関係』のマネジメントとではなく、「横の関係」のマネジメント
友達というのはイロイロなことに関して対等であり、「横の関係」なのです。人望のない者に共通する特徴は、マネジメントが『縦の関係』だと思い込んでいて、「横の関係」のマネジメントを知らないことです。
嫌われているリーダーに共通しているのは、マネジメントに「横の関係」があるということを理解していないことです。マネジメントが『縦の関係』だと思い込んでいる人は、たいてい『裸の王様』のような状態になっています。
『裸の王様』が指揮をする組織で、勝つ組織を見たことがありません。いつも負けている組織です。『裸の王様』からは、反面教師ということぐらいしか学ぶことがありません。所属した組織の上だから、一応、付き合っているだけであり、組織を離れたら誰も相手にしていません。
組織の上の者であれば、下の者はご機嫌取りのようなことをしてくれるし、プライベートでも付き合ってくれるかもしれません。上の者はプライベートだと思っていても、下の者は仕事の延長だから、割り切って付き合っているだけです。気が付いていないのは、『裸の王様』の本人だけです。勘違いしていれば最近はハラスメントです。
最近は、子供相手に商売をしている者でも、成功している人は「横の関係」の管理を熟知しています。幹事をしたり、プロジェクトを取り仕切るリーダーには、この「横の関係」のマネジメントが必要不可欠なのです。
「横の関係」のマネジメントを知らない人が、幹事をしたり組織の上に立てば、その集まりや組織は、『地獄絵図』のようになります。
初回は、久しぶりの集まりなので、連絡が取りあえる程度の関係があれば、多くの旧友が「懐かしさ」から、各々がスケジュールの優先順位を上げて、集まってくれるのです。
初回はとても感動的なのです。その余韻から2回目も開催の見込みが立ちます。しかし、2回目というのは新鮮さや感動、驚きはありません。2回目というのは、分かっていることが前提。思い出に酔うような懐かしさではなく、現実的な気持ちが強くなるのです。
現実的な気持ちになるということは、得てして、現在の自分について『自慢大会』や『愚痴の場』となりやすく、『疲れる集まり』になりやすいのです。
3回目以降になると、その集まり自体が、「心が癒される楽しい場」で無ければ、人は集まってくれたりはしません。「懐かしさ」という集める力は無くなり、『煩わしさ』の気持ちの方が強くなるのです。義理や付き合いでの集まりとなり、白けた集まりとなるのです。
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周囲が義理や付き合いで参加して付き合っているだけなのに、
そのことに気が付いていないのは、
呼びかけをした幹事本人だけということも多いものです。
「懐かしい気持ち」になるくらい開催期間が相当なスパンで開かなければ、人が集まらない現実。その集まりは定期開催を求められていないということです。それに、毎回、同じメンバーでの集まり。どこか白けて寂しいものです。常連メンバーの中に、面白いゲストメンバーが参加してくれるのが理想です。
もっとも、私は兄弟分や相方と二人だけで会っていても、毎回毎回、それはそれで楽しみです。それに多くの旧友が今でも言ってくれます。
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「あっちゃんと会うのは、子供の頃から、いつも楽しみです!」
「次回も開催、よろしく!」
これまで、公式・非公式を問わず、様々な集まりの幹事をしてきました。そのため、幹事の大変さと苦労いうのは骨身にしみて分かっています。
強制感や義務感がある会社や団体の集まりをまとめるだけでも大変です。ましてや、完全な自由意思での集まりをまとめ切るというのは、メンバーの協力や心意気が無ければ出来ません。
そして、そんな協力や心意気を引き出すことが幹事の役割でもあるのです。強制感や義務感がない完全な自由意思での集まり。集めることは難しいのですが、集まることが出来れば、「笑いの大波」をみんなで波乗りするような楽しい集まりになるのです。
一方、人が集まらないときの幹事。人集めに苦戦して、一向に集まりがまとまらない状況。まとまらないというより、幹事がまとめることが出来ないのです。
意思ある大人を相手にしていることが、全く分かっていないのです。つまり、いい歳をして下記のことがきちんと分かっていないのです。
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人というのは、自分が思っている通りには
動いてくれないということ
「横の関係」のマネジメントが全く分かっていないのです。挙句の果てには、参加もしないし、人集めもしない人が、幹事の運営に横から口出しをしてきたり。幹事も身勝手に誰かをあてにして、自分がやるべきことをやらなかったり。
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「責任」という二文字を
全く理解していない幼い精神性
「自分が責任をもってやっているという意識」が欠如しているのです。『みんなでやっているという意識』なのです。そのため、見ていられないような状況に陥るのです。
淋しさと虚しさが混在した痛々しい何とも表現のしようがない状況に陥るのです。まさに、人間の『無責任』が出てしまった『地獄絵図』のような状況です。
お互いに身勝手な主張で、『役割分担と責任の擦り付け』が始まり、参加していない人やその組織に関係がない人にまで、批判や陰口が漏れ伝わってくるのです。集まりの前からテンションが下がり、参加したいモチベーションが下がる悪い展開。
参加予定者だった人も理由をつけて不参加を言い出したり。
一応、付き合いで終わりの方に、顔だけ出すと言い出したり。
そもそも、この集まりは中止にならないのかと言い出したり。
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「笑いの大波」どころか、『白けた引き潮』が起きてくるのです。
他人事の事後報告を黙って聞いているだけでも、呆れる気持ちを通り越して、恥ずかしい気持ちになります。さらに、可哀そうな感情までが起きてくるのです。もう、分かった。分かったから、もう、話さなくてもいいという気持ちです。正直、もう、うんざりだし、もう、いいよという気持ちです。
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やるのであれば、責任をもってやりなさい
そもそも自分で責任がとれないようなことを、他人を巻き込んで、やるべきではありません。身勝手に昔の集まりを使って呼びかけをして、声をかけられて巻き込まれた人は被害者です。そもそも昔の集まりというのは個人のものではないのです。ましてや、『残念なリーダー』のものではありません。
身勝手に呼びかけをして、リーダー気取りで参加者に対して、場所の確保や参加者集めまで指示してくる者までいるのです。
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『なんで、自分が開催場所を確保したり、参加者集めまでやらされるの!』
そんなに乗り気でない人が、多忙な日常を過ごしている中で、当然に湧きあがってくる感情です。『あなた、一体、何様ですか』ということです。そして、そのように思われるが、『残念なリーダー』なのです。
概して旧友に集まりを呼びかけるためには、メンバーを集めるための理由や目的が必要になりがちです。クラブチームや部活動の集まり、働いていた職場、サークル活動の集まりということであれば、呼びかけをしやすいのですが、小生は個人的に馴染みません。
何か活動していた公式な集まり。メンバーを集めるための理由や目的として、動機づけにはなるのですが、何となく強制感や義務感が出てくるからです。
それに私は昔の集まりに頼らなくても、個人的な繋がりで旧友を誘ったり集めたり、旧友をまとめるぐらいの自信はあります。相方や旧友がモチベーションを上げて協力してくれます。人望のある相方と旧友が、組織の楽しみを引き出して、参加したい人を引き寄せてくれることを分かっているからです。
私は下記のことを知っているのです。
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強制感や義務感がある集まりは、集めるのは楽ですが、
ワクワクした楽しい集まりにはならないということ
小さな集まりだとしても、活動していたメンバー全員はもちろん、ほとんどの人に連絡することも出来ません。連絡がいかなかった人が、自分が所属していた組織の集まりがあったことが分かれば快く思わない人もいるというのが、人間の感情というものです。もっとも『残念なリーダー』が来る集まりには、誘われたくもないということもあるのも事実。
誠に残念で悲しいことですが、『魔封波を放つ人』というのは現実にいるのです。その人が出てくると、不思議と周囲を白けさせる人です。その存在を思い出すと、自分の運気が下がるような気がする人です。
モチベーションを下げられる人。
免疫まで下げられるような気がする人。
いつもツキが無く、とにかく縁起が悪い人です。
その人こそが貧乏神の『残念なリーダー』です。人は厄病神の『残念なリーダー』とは関わりたくないし、縁起の悪い『残念なリーダー』を思い出したくもないのです。運気というのは才能や努力と同等に大切ですからね。
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『残念なリーダー』は、威張っているだけで、『裸の王様』のような状態
負け組の組織やプロジェクトには、『裸の王様』のような管理者やリーダーと称する者がいて、いつも陰口を言われて嫌われながら、偉そうに威張っているものです。酷い者になると管理職の仕事は嫌われることだと考えて、居直っていることも珍しくありません。
同じ組織の者が顔を合わせる度に、いつも管理者やリーダーがいないところで、批判や陰口を言っているような組織やプロジェクト。『何か成果物』が出てくるかもしれませんが、「実りある成果物」なんて出てくるはずがありません。
命令や方針でやらされた仕事だから、一応、やったというレベルのものです。成果も「何か出てきた」というレベルの類のものです。メンバーにも冷めた気持ちしかないし、仕事の中身にも魂が宿っていないのです。
『残念なリーダー』の怖いとこりは、本人がその場にいないのに、誰かが『残念なリーダー』の話題をするだけで、その場の雰囲気が悪くなる『残念力』があることです。
『残念なリーダー』をつまみにした繋がりというのも、人間の繋がりにはあるのも事実なのです。皮肉なことに、『残念なリーダー』が『負け組』の中で、コミュニケーションの潤滑油となり、必要悪となっているのです。『残念なリーダー』が『負け組』をつくり、『負け組』の繋がりには『残念なリーダー』が必要なのです。
『残念な人』には、人の邪悪な部分を引き出す『残念力』があるのです。だから、私は『残念な人』には会うつもりはないし、極力、『残念な人』を思い出さないように注意しています。思い出した場合、近くの神社に行き、厄払いをしています。
そして、そんな『残念な人』は自分の中にもいると思っています。人間は誰でも『残念な人』となる危険性が内在されていると思うのです。だから、私は人の悪口や陰口は言わないように注意しています。
できる限り、『残念な人』のことを話題にしないようにしています。自分から『残念な人』の話はしないし、誰かが『残念な人』の話をしだしたら、話題を変えるようにしています。
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会っていないのに、時間と場所を超えて、嫌な気持ちにさせる人
それが『残念な人』です。『残念な人』を思い出すことは、膨大な時間とエネルギーの浪費です。人生にマイナスなので、過去の人にするのがベストなのです。
不思議なものですが、『残念な人』と会わないことを決めると、今後の人生でもう会うことは無いのです。『残念な人』とは関わることがなくなり、『残念な人』は過去の人となるのです。何より、自分の中にいる『残念な人』が駆除されて出てこなくなるのです。
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嫌いな人を思い出している自分ほど、嫌な自分はいません
私の友達や周囲には人の悪口や愚痴を言う人はいません。そもそも、昔から噂話もほとんどしない奴らです。笑いや楽しみのツボを心得ている連中です。
どんな集まりでも人が集まる以上、その集まりをまとめて、上に立つ者はイロイロと大変です。人気取りで迎合していても務まらないし、もちろん、良きに計らえという立場では務まるはずがありません。「配慮」と「決定」という名のマネジメントが必要になるのです。
『地獄絵図』のような『無責任』組織や企業体は、世の中に、溢れるほどたくさんあるし、どんなすばらしい組織でも、『地獄絵図』の『無責任』組織や企業体になる危険は常に内在されているのです。
今回、9人の参加メンバーのうち5人の方が当日も翌日も仕事だというのに、オープニングから宴に駆けつけて、ワクワク感のテンションで、その場を盛り上げてくれました。宴に参加したい旧友を集めてくれたり、一人一人がそれぞれに自分が出来る協力をしてくれるのです。
幹事やプロジェクトを取り仕切るリーダーの役割。「横の関係」のマネジメントで、「モチベーションの大波」を起こして、「笑いの大波」を引き起こすことです。
リーダーの役割とは、成功という目標に向けて、メンバーが同じ価値観を共有させることです。議論を活発にして、ベクトルの方向を併せて各人の知恵を積み上げて、制度や集まり、何より組織体に魂を吹き込むことにあります。
モチベーションが溢れる組織やプロジェクトには、「横の関係」を熟知したマネージャがいて、人を育て、組織を育て、会社を牽引しているのです。市場が複雑になり難しくなっています。これまでは、トップダウンで上手く回ってきた企業も壁にあたって停滞しているケースもあります。
トップダウンでの時期を終えて、組織が次のステージに行くために、「横の関係のマネジメント」が、必要になっているケースもあります。先行き不透明な混沌とする市場に対応するためのヒント。「横の関係のマネジメント」にヒントにあるような気がしています。
作成日:2018年9月24日 屋根裏の労務士