「高知の旅」
以前、クライアントの方から、慰労会をして頂いたときです。宴の席で、新しい担当者の方に下記のように紹介されたことがあります。
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「佐々木先生は、旅が趣味です。」
他の人から言われるまで、自分では気が付いていなかったのです。
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私の趣味が旅であること
私は幼少期の頃、自分が知らない場所に一人で出かけることが好きな子供でした。小学2年生の時には、少しくらい遠い場所であれば一人でバスに乗り、出かけていました。小学3年生の時には、隣の街ぐらいであれば、一人で電車に乗って、遊びに行ったりもしていました。
小学4年生になると、親に連れられて家族で旅行するより、友達同士で少し遠方に遊びに行くことに関心がありました。20代の頃はお金が貯まると、刺激と学びを求めて知らない街に、ぶらっと、旅をすることが多かったです。
ところが、30代の頃は遠出をする旅らしい旅。ほとんどしなくなりました。仕事や特別な行事がなければ、自分の意志で山手線の外側に出ることも、ほとんど無かったような気がします。
30代は忙殺状態で人生に忙しかったこともあります。しかし、それ以上に30代の自分は、下記のように思っていたからです。
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『東京にはすべてのものが揃っている』
20代の頃に全国あちこちに旅をした結果。どの街も、『リトル東京化』しているように思ってしまっていたのです。何か、もう、わかったような気になっていたのだと思います。わざわざ、時間とお金をかけて旅に出かけなくてもネットでわかるような気がしていたのかもしれません。
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『東京が分かっていれば、日本を分かっている』
そんな勘違いをしていたのかもしれません。
田舎者という言葉の意味が、下記であるとしたら。
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特定の地域のことしか知らない人
私は東京しか知らない田舎者ということになります。もっとも、私は東京のこともほとんど分かっていません。
人の顔がすべて違うように、その地域、その地域ですべて異なる特徴や文化があるのです。その地域、その地域で、いつも、自分の知らない何かがあり、新しい何かに気が付いて、学ぶことがあります。
大人になり、色々な経験を積んでくると、自分は、もう、わかっていると思ってしまったり。自分が無知であるという現実を認めない一面もあると思っています。
実際は、世の中はいつも移ろい、社会は常に変化しているのだから。自分が経験してわかっていることは、大切な財産であるという誇りを持ちながらも、自分は、まだ、わかっていないという謙虚さも大切なのです。
高知県は今回で2回目になります。実は、今年の4月に日帰りの出張で高知に行ってきました。クライアントの地方営業所でトラブルがあり、その対応をするために、高知に出張をしたのです。
羽田から高知までは、飛行機で1時間20分ぐらいです。空港から市内までは意外と距離があるので、やはり、高知は簡単に行ける場所ではありません。
高知の出張では、クライアントの営業所の担当者に空港まで送り迎えをして頂いたので、車窓から市内を確認しただけです。出張は緊張感が伴う仕事ですから、観光のことまで考えている余裕、もありません。次の日は仕事もあります。空港で、かつおのたたきを食べただけです。
今年の旅のテーマと目的は二つあります。その一つは下記です。
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近代日本の礎をつくった
明治維新の偉人を学ぶ旅
今年は明治維新150年の節目の年です。江戸時代というのは、はるか遠い遠い昔のような気がしています。江戸幕府の政権が終わってから、まだ、たった150年しか経過していないというのが小生の実感です。
5月に山口を訪れ、7月に鹿児島。そして、最後に高知を訪れて、明治維新を成し遂げた偉人を学び直してきました。高知を代表する維新の豪傑といえば、説明するまでもなく、好きな歴史上の偉人でいつもトップになるあの男です。
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坂本龍馬
今回、旅をする前に、「竜馬がゆく」を読み返しながら、旅では下記のことを意識して確認してきました。
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「坂本龍馬がどのように祀られているのか!」
桂浜の海岸で、全高13.5メートルもある坂本龍馬の銅像も確認してきました。高知観光の王道中の王道の観光スポットです。高知の駅前にも下記の高知の偉人の像があります。
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武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎
明治維新は、日本の歴史の中で、もっとも重要な出来事です。次から次へと偉人を輩出させた日本の成功体験の歴史だと捉えています。革命の定義は諸説ありますが、明治維新は日本史における政治的革命だと思います。
今年は明治維新から150年の節目の年。週末に幕末からの近代日本史を紐解きながら、高知の旅を振り返っていました。
作成日:2018年11月19日 屋根裏の労務士